列福をこころから感謝しよう。(No.1)

アイキャッチ用 田中神父の今週の糧

11月24日正午から、長崎で日本初の「ペトロ岐部と187殉教者」の列福式が執り行われました。私たちの教会も全国の教会と心を一つにして「列福をひかえ、ともに祈る7週間」を過ごしました。これで、日本には42名の聖人(2月26日・日本26聖人殉教者。9月28日・聖トマス西と15殉教者)そして393名の福者(9月28日・日本205福者殉教者。11月24日・ペトロ岐部と187殉教者)がいることになりました。その全員が殉教者であるのが日本の教会の特徴です。

列聖列福特別委員会の委員長溝部司教は、25年の歳月を掛けて取り組んできたことを振り返って、日本の教会にとって今度の列福は一つの大きな意味ある出来事だったと、感謝の気持ちをこめて、小笠原みやの遺書の言葉「今か今かと待ち候-列福式を迎えて」とカトリック新聞にその心境を語っています。

委員会が活動を始めた当初は、なかなか日本の教会全体としての盛り上がりがなく、「なにを今更……」と無関心派が多数いたのに、段々「列福の意味」が浸透し、これを機に日本の教会を見直す運動までになったことの意味を語っています。たとえば、ペトロ岐部は「世界を回ったひと」との好奇心の視点で捉えられていたけど、「相対主義の、暗黒で光の見えない現代社会の中で生きる」私たちに対して、「なんでもいいわけではない、自分らしく、自分の生きかたにチャレンジする必要がある」とのメッセージを投げかけているのだと気付いて欲しいと訴えています。

もう一つは「信徒の時代」といわれる現代にあって、小西神父が殉教した1643年から、1865年の信徒発見までの222年間キリシタンたちは神父不在のまま、自分達の信仰を守りつづけました。「上から与えられる“信仰”から“自分達で作り上げる、支えあう信仰”」は、私達にとっても価値あるメッセ-ジです。これは、特別委員会の「司祭不在のキリシタンたちが信仰を守り抜いた“形・道”を考えるチャンスにする」という目的にもあいます。

「列福」の喜びが、私達の教会に沢山の恵みと活気付けを与えて下さることを心から望みます。

主任司祭 田中次生

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