私たちが志願者・小神学生だった時、デランジェラ神父様やドナティ神父様からよく注意されました。それは「“蚊”を追い払うような“十字架”の印はするな!」ということでした。ほとんど無意識に聖堂に入る前に十字架の印をするのですが、知らない人が見たら、額に止まっている“蚊”を追い払うような感じになっているのを注意されたのでした。

私は、お隣の県知事のことはよく知りませんが、正真正銘の「全日本弓道連盟」の二段を持っています。大阪星光時代、5年間「弓道部」の顧問をした時、生徒と一緒に練習して資格審査を受けました。地下鉄の隣の駅に、大阪府の高津弓道場があったので、そこの「朝日弓友会」にも入会して、生徒ともども皆さんから可愛がられ、審査の前など、練習にきている「資格審査の先生方」が細かく教えて下さり、生徒達も、随分“段”を取れるようになりました。その先生方から口を酸っぱくして言われたのは、「田中先生、弓道をしていれば、最初はどうしても、“当てよう、当てよう”の気持ちが強く働きます。外れるより当たりが良いでしょう。そのため正しい形よりも、当てるための形が優先されてしまいます。しかし“射法八節”という“弓道の形”を是非大切に生徒たちに教えてください。形がキチンと出来れば、矢は的に当たるもんなんですょ」と。

普通、弓道場には「神棚」があります。正式な弓道大会であれば、「神拝」の儀式がはいります。私の恩師に質問した時「田中先生たちは“神様”の礼拝というのではなく、“弓道を作り上げた先覚者”への感謝のご挨拶としてやってください」と言われたので、星光学院では“マリアさまの御絵”を飾り、生徒たちにはその儀式をさせていました。審査の前に教えても、キチンとした“かたち”にならないと思ったからです。

日本の武道に共通したものとして、この「かたちを大切に」があります。弓道を学んで、私も遅まきながら“かたち”の大切さを理解出来るようになりました。そしてさも昔からかたちを大切にしてきたような顔をして、「君はもう少し“かたちを大切にしなさいよ。じゃないと伸びないよ!”と生徒達にいったものでした。

主任司祭 田中次生
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