個性は、基本的な形からということを考えました。それは「模倣」という形から出発します。この模倣について、私が尊敬する亀井勝一郎はその「人生論」の中で次のように書きます。「人はよく“独創”の話をしますが、生まれ落ちた時から、この世の影響を受け、邂逅(かいこう)によって更に生まれ変わらされたとすれば、“独創”とは一つの空語にすぎまい。大切なのは“模倣”です。邂逅の相手を模倣すること、人は模倣を蔑みますが、もし本当に釈迦やキリストの模倣ができたらどういうことになるか……」とか「他人を自己の栄養物にするほどオリジナルな個性的なことはない。但しこれは消化しなければならない。獅子は同化された多くの羊からなる」と主張します。これは「わだばピカソになる」と決めた棟方志功のことを考えても大切な指摘だと思います。
こう考えることが出来るでしょう。「独自の個性」を作り上げるために必要な条件は三つあることになります。
- 模倣したいと思う対象との出会い。
- 摸倣したいという意志(志・こころざし)
- 摸倣したいという「謙虚なナイーブな心」を持つこと。
反骨精神も人間を大きくする、成長させるといわれます。しかし、それはあくまでも「謙虚なナイーブな心」で模倣する過程の中で出てくるものだといえるでしょう。棟方志功の例で言えば、「わだばピカソを越える」との決意が出てくるときです。
摸倣する中で、学んでいるのは、基本的な形とその中に込められている作者の「魂・心意気・情熱・熱い望み・息づかい」でしょう。その両方を学び取って初めて、「独自の個性」にチャレンジしていけるのです。かたちという土台が無ければ「風変わりな、自己中な、甘ったれた」人間ということになり、「個人に備わり、他の人とは違う、その個人にしかない性格・性質」(広辞苑)の個性、品格を備えた個性にはならないでしょう。
主任司祭 田中次生