「キリスト教主義にもとづいたヒューマンな教育理念を身近に感じながら、自分らしい未来を、自分らしい夢をまっすぐ見つめていたい。ここは、心の豊かさを創るキャンパス、青山学院です。」(青山学院大学)、「多様な入試制度によって、多彩な個性と才能とを求めています。」(慶應義塾大学)など私大の入試案内に「自分らしい」とか「個性」とかの言葉をよく目にします。何を隠そう私が大阪星光学院にいた時の「学院案内」にも「キリストの言葉が心を育む」とか「充実の教育ステージは未来のために」と共に、「個性がきらめくふれあいも豊かに」のコピーが入っているのです。
現代の社会がどれだけ「個性」を大切にしようとしているのか、その姿勢を感じとることができます。旺文社の「成語林」で調べようとしたら、「個性」の項目は見当たりませんでした。従って「個性」という言葉は、日本文化の中で時間をかけて熟成されたものでなく、戦後外国から「民主主義」と共にあわてて輸入され、まだまだ未消化の概念だと言えるでしょう。それで今回は「かたち」と「個性」について考えてみました。
「個性」は模倣から。版画で世界的に評価を受けている棟方志功は小学校卒の学歴しかなく、正規の美術教育を受けたことは一度もなかったといいます。彼の作品が持つ、独特の個性、オリジナリティはどのようにして芽生えたのでしょうか。美術史家の記録するところによると、彼が小学校を卒業して我流の油絵を描いていた時、「白樺」という雑誌でゴッホのヒマワリの絵に出会い、その絵に魅せられて「わだばゴッホになる」(津軽弁)と決め、ゴッホの作品を模倣し、その作風を自分のものにしたのがその出発点であったと言います。第二次大戦後、1年間ニューヨークにいた時にピカソの「ゲルニカ」を見て感激し、今度は「わだばピカソになる」と決め、片っ端からその作品をモデルにして腕を磨いたのです。そしていつごろか「わだばピカソを超える」が棟方志功の口ぐせになり、その口ぐせとともに志功の「大きな志」が彼独特の世界を創り出したのです。
「かたち」を大切に時間をかけて身につけるからこそ、その中に閉じ込めることのできなかった「個性」があふれ出てくるのではないでしょうか。