先日、いつくしみセンター発行の「聖ヨハネ・マリア・ヴィアンネ その生涯と祈り」という本をTさんからプレゼントされました。すぐ嬉しく読みました。彼はフランスのリオン近郊で1786年5月8日に誕生しました。フランス革命の嵐が吹きまくる大変な時代でした。全土でミサの禁止と教会の閉鎖が行われました。そんな時代に「司祭」になることは、場合によっては「死」を意味することでしたが、神の召命に答えるべく勉強を始めたのは17歳の時でした。しかし、父の反対に合い、3年待ってようやく20歳になり勉強を始めました。運命は過酷なもので、ナポレオンの戦争のため徴兵に駆り出されたりし、ようやく勉強を正式に始めることが出来た1810年には、彼はもう24歳になっていました。ヴェリエルの小神学校、リヨンの大神学校と進みましたが、基礎からキチンと勉強できなかった彼を苦しめたのは、「ラテン語・スコラ学」でした。

ヴィアンネについて、どの本にも書かれている有名なエピソードがあります。彼は若い同級生の二倍も三倍も努力したのに、ラテン語による進級試験に失敗してしまいました。万事窮すと思われた時、幸いに最初から彼を支援してくれていたバレ師ともう一人の司祭による、フランス語での最終口頭試験でかろうじて進級を許されました。この例外的な進級が問題になった時、リヨン司教代理クールボン師の質問が、後々まで語り伝えられました。「ヴィアンネは敬虔か? よくロザリオを唱えるか? マリア様を愛しているか?」に対して、試験を担当した2人の神父が太鼓判を押したので、進級が認められました。

この話は、私達が神学生の時に何回も長上たちから聞かされました。「神父になろうと思うなら、“司祭の母マリアさま”にお祈りし、お恵みを願いなさい。そして特別にロザリオのお祈りを大切にしなさい」を耳にたこが出来るほど聞かされました。でもマリアさまは、私達一人一人の“お母さま”です。いつも思い出したいですね!!

主任司祭 田中次生
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