教皇ベネディクト16世は、6月19日「アルスの聖なる主任司祭の没後150周年を記念する『司祭年』開催を告示する手紙」をバチカンから出しました。その中で、アルスの聖司祭がどれほど司祭職の秘蹟を果たすことを重視していたかを次の言葉が示している、としています。

「地上で司祭がいかなる者であるかを知るなら、死んでしまいます。それは恐れのゆえにではなく、愛のゆえにです。……司祭がいなければ、主の受難と復活は何の役にも立ちません。地上で贖いの業をつづけけるのは司祭です。……誰も扉を叩く人がいなければ、家が金塊で満たされていても何の役にたつのでしょうか。司祭は天の宝を開く鍵を持っています。扉を開くのは司祭です。司祭はいつくしみ深い神の執事であり、神の善の管理人です。司祭なしに小教区を20年間放置するなら、人々は獣を礼拝することになるでしょう。司祭は自分のために存在するのではなく、あなたがたのためにいるのです。」

教皇様は、聖司祭の次の言葉も引用しています。

「ああ司祭とはいかに偉大なものでしょう。司祭は自分がいかなるものであるかを知るならば死んでしまいます。……神は司祭に従います。司祭が二言唱えると、主はその声に答えて天から下り、小さなホスチアの中にはいるのです。」「叙階の秘蹟がなければ、わたくしたちには主がいなくなります。」

彼の言葉「神のほかには、司祭が全てです。」を黙想する時、「とてもじゃないけど、自分には無理だ」との考えが頭をよぎります。今年は「司祭職と御聖体を制定してくださった」イエスさまに感謝する年です。先週からお知らせしたように10月は4回、その感謝の集いをしたいと思います。どうかよろしく、ご出席ください。

主任司祭 田中次生
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