私たちが洗礼を受ける時、原罪とすべての罪から清められます。最初の聖霊降臨の後、聖ペトロがキリストの代理者・教皇として強調したのはそのことでした。「悔い改めなさい。そして罪を赦していただくために、それぞれイエス・キリストの名によって、洗礼を受けなさい。そうすれば賜物である聖霊を受けるでしょう」(使徒2・38)そして「聖霊によって……あなたがたは奴隷とする霊を受けたのではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によって“アバ、父よ”と叫んでいます。……子供であれば相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です」(ローマ8・14~)とパウロも続けます。だからイエス様の十字架上の贖いによって、キリストと「洗礼」によって結ばれた私たちは、御父が愛しい子・キリストを見る同じ眼差しを注いでもらえるのです。

キリストのように「光の子として生きよう」との望みを「キリスト者」は皆持っています。しかし、私たちは経験から分かるように、多くの点で道から逸れてしまいます。「私は“肉”の弱さをまとった人間で、罪に売り渡されたものです。私は自分が行っていることが分かりません。なぜなら、自分が望んでいることはせず、かえって憎んでいることをしているからです」(ローマ7・14)とパウロが言うように、私たち人間の弱さから“罪”を犯してしまいます。そこから立ち直ることができるようにとキリストは「ゆるしの秘蹟」を制定して下さったのです。洗礼後犯した罪を赦すためです。

古代から「ゆるしの秘蹟」は次のように行われていました。

  1. 罪を犯した信者が、聖霊の導きに心を委ね、罪を悔やむ。
  2. 教会の代表者である司祭のところに行って“罪”を告白する。
  3. 司祭は“さとし”を述べ、“父と子と聖霊の名”によって罪の赦しを与える。
  4. 赦された人は、司祭が指示する“償い”を果たし、赦して下さった神の限りない慈しみに感謝する。
主任司祭 田中次生
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