松村菅和師(横浜教区司祭)が訳された『パリ外国宣教会年次報告書』が聖母の騎士社から刊行されています。その第三巻にある、1902年(明治35年)度の報告書に下記のような記述が見られます。
「若葉町教会―横浜の日本人小教区は、ヨーロッパ人信者たちが近くにいて悪い手本を示しているにもかかわらず、幸いにも全く違った状況にある。クレマン師は町の全カトリック家族を集めて、しっかりしたグループを作るために全力をあげた。それで彼の努力は報われ成果を上げている。今日では若葉町の小教区は宣教地区の中でも最も立派なものの一つである。・・・・・・上記のように教区の布教について報告した後、クレマン師は次のように書き加えている。『昨年の十月、我々ははじめてこの共同体で黙想会をしたが、期待をはるかに超える大成功を収めた。一週間中、毎日何回か霊的集会があった。特に夕方のそれは大変熱心に守られ、参加者の数も非常に多かった。この黙想会の終わりには大勢の人が告解と聖体拝領をした。若葉町の拠点にとってそれが良い心構えを持ち続けるための堅忍を与えてくださるように』」。
今から110年ほど前の横浜地区の一共同体の見事な模範が伝えられています。特に黙想会の記述は注目に値します。当時は一週間かけて黙想会が実施されていたということです。現在は修道司祭でも年の黙想会は一週間、教区司祭は4日間です。当時の信徒が一週間かけていたとは驚くべきことです。もちろん、丸一日というわけではなかったでしょうが、“特に夕方のそれは大変熱心に守られ、参加者の数も非常に多かった”という記述は、勤め人も仕事が終わってから参加していた様子が伺われます。
鷺沼教会でも待降節に入って、各主日のミサ時、聴罪司祭が待機していますし、19日には黙想会が予定されています。明治時代の横浜教区の信徒たちにならって、クリスマスをよく迎えるためのいい準備の黙想会となるよう、皆様の積極的参加を期待しています。