聖書に記された最初の賛美歌は「海の歌」(出エジプト記15章1~18)です。歴史学的にはその次に記された「ミリアムの歌」(出エジプト記15章20~21)の方が古いともいわれていますが、どちらも紅海の奇跡の直後の歌です。エジプトで奴隷とされていたイスラエルの人々を、神が憐れんで奇跡的に救い出してくださった、その出来事を賛美しています。新約聖書の最初の賛美歌はルカ1章にある「マリアの賛歌」で、神の憐れみが賛めたたえられています。フィリッピの信徒への手紙2章にある“神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、しもべの身分になった”と歌う「キリスト賛歌」も新約最古の賛美歌に属するものです。

キリスト教は歌う宗教といわれます。賛美に始まり、賛美に終わるのが礼拝です。その理由は、神の愛の具体的な実現としてのイエス・キリストの出来事がキリスト教の土台だからです。聖書朗読と説教において、神の愛の出来事が述べ伝えられ、その出来事が、聴く者に信仰を呼び起こし、聞く者の身に、今、出来事として生起する時、その人は神の愛を賛美せずにはいられないのです。こんな私でも神は愛してくださる、その喜びを歌わずにはいられないわけです。

鷺沼教会では「キリスト教と音楽」という宗教講座がひらかれています。明日の講座で取り上げられる予定の、20世紀フランスの作曲家メシアンが、1978年に行われた演奏会のプログラムに寄せた序文を読むと、この人は神学者かと見まがうほどの言葉に出会います。

「音楽は、空間と時間、音と色彩の間で交わされる果てしない対話であり、統一へと導いてくれる対話なのです。時は空間であり、音は色彩であり、空間は重ね合わせられた時の複合体であり、音の複合体は色彩の複合体と同時に存在します。音楽家で、考える者、見る者、聞く者、話す者であれば、こうした根本的な概念を通して、ある程度は来世に近づくことができます。そして聖トマス・アクイナスが言うように、音楽は<真理の既成事実>を通して私たちを神へと導きます」。

クリスマスの前に、メシアンの「主の降誕」や「みどり児イエスに注ぐ二十のまなざし」などの作品を聴いてみようと思います。

主任司祭 松尾 貢
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