11月24日の横浜天主堂献堂(日本再宣教)150周年行事が近づいてきました。その準備として4日日曜日、今週14日に横浜巡礼を実施します。東海道53次の一つ神奈川宿にあるカトリック・プロテスタントのゆかりの地(お寺)を巡り、元町にある横浜天主堂跡地、最後は山手教会を終点とする2時間半の短い巡礼です。

巡礼のために資料を準備している際に気付いたことがあります。

幕末の宣教師についてのプロテスタント側の研究書は豊富なのに、カトリック側の研究書があまりに少ないこと。また、幕末、明治初期に活躍したパリ外国宣教会についての研究が現在のところプロテスタントの研究者に頼っていることです。

キリシタン時代の華々しい宣教活動という歴史をもっているカトリックとは異なり、プロテスタントにとって初めての日本宣教でしたので、プロテスタント各派の宣教意欲は並々ならぬものがありました。ヘボンやブラウンなど医療、教育、辞典の編纂、聖書翻訳などに活躍し、明治学院等の創立にかかわったこともあり、プロテスタント側の研究書は実に豊富です。一方、カトリック側は幕末・明治初期の宣教活動はパリ外国宣教会だけに限られていたため、研究スタッフに恵まれていないという現状があります。パリ外国宣教会は宣教、司牧が専門ですから、学者が多くいるわけではありません。イエズス会の再来日はずっと遅く明治41年です。イエズス会にはキリシタン時代についての研究者は多いのですが、幕末・明治初期の研究者は現在のところいないのです。それで、11月24日の式典での記念講演はプロテスタント・バプティスト派の信徒である中島昭子先生が依頼されています。今年5月の横浜教区司祭研修会も、6月に山手で行われた講演会も同じ中島先生でした。カトリックの歴史をバプティスト派の信徒から教えていただく、これも考えてみればいいことかもしれません。

プロテスタントはヘボンたちが来日した1859年を日本宣教開始として3年前に150周年を祝ったのですが、琉球の那覇に1846年にベッテルハイムという宣教師が上陸しています“那覇は日本ではないのか”という疑義は考えさせられる鋭い質問といえます。

主任司祭 松尾 貢
LINEで送る