新教皇が選出されたとき、メディアが一斉に伝えたのは「アメリカ大陸出身初の教皇」「8世紀のグレゴリウス3世(シリア人)以来の非欧州人教皇」といったことでした。カマルドリ修道会出身のグレゴリオ16世(1831年~46年在位)以来180年ぶりの修道者教皇、イエズス会出身初の教皇という指摘もありました。

それ以外にも、「貧しき人びとの父」「謙遜と清貧の代名詞」「謙虚であり高い精神性を持つ人」といった人物評がメディアを賑わせています。ブエノスアイレス大司教時代、質素な生活を貫き、大司教公邸ではなくブエノスアイレス郊外のアパートに住んで自炊生活を送っていた。そこからバスや地下鉄を使って司牧に出かけ、社会的弱者の救済に力を入れていたそうです。

そのような新教皇に関するエピソードを聞くにつれて、現在のイエズス会総長アドルフォ・ニコラス師の姿がだぶって見えてきます。

1970年代中頃、上智大学院でニコラス師の「終末論」の授業を受けたことがあります。新進気鋭の学者という感じでしたが、やがてイエズス会日本管区長となられ、その後東京教区の外国籍信徒のための救援組織CITICの責任者となりました。そのとき師はアパートを借り、自炊生活をなさっていました。

元々、イエズス会は社会的に影響力を持つ人物に近寄り、その人を宣教者として育て上げ、その人の感化によって下級階層の人達に多大な影響を及ぼしていくというアプローチを取るのが特徴でした。16~17世紀にかけてのインド・中国・日本での宣教方針を見れば明らかです。ところが、第2ヴァチカン公会議後のイエズス会総会(1971年)において、アルペ総長の意向もあり、会の目標は高等教育と同時に社会正義・弱者への同伴が二本柱となりました。

ニコラス総長も新教皇もこのアルペ路線の延長線上に位置する新しいイエズス会の素晴らしい実りといえるのではないでしょうか。その新教皇が<フランシスコ>という名前を採られたことも、新しいイエズス会だからこその、象徴的な出来事といえると思います。

主任司祭 松尾 貢
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