148年前の今日3月17日は、杉本ユリさんら浦上村の住民が大浦天主堂でパリ外国宣教会のプチジャン師に対して、カトリック信仰を表明した“信徒発見”の記念日です。プチジャン神父様はこの潜伏250年を経ての世界宗教史上の奇跡ともいわれる“信徒発見”の出来事をジラール管区長宛の手紙(原文フランス語)で、次のように描写しています。
≪昨日の12時半頃、男女子どもをあわせた12名ないし15名の一団が、単なる好奇心とも思われないような様子で天主堂の門に立っていました。天主堂の門は閉まっていましたので、私はそれを急いで開けに行きましたが、私が祭壇の方に進むと、この参観者たちも私についてきました。(中略)私が、ほんの少しだけ祈った後でしたが、40歳ないし50歳位の婦人が私のすぐそばに来て、胸に手をあてて申しました。「ここにおります私共は、全部あなた様と同じ心でございます」。「本当ですか? あなた方はどこからおいでになりましたか?」と私はたずねました。「私たちは、全部浦上村の者でございます。浦上では、ほとんど全部の人が、私たちと同じ心を持っております」。それからこの同じ人はすぐに私に聞きました。
「Santa Maria gozo wa doko?」。サンタ・マリアによって祝されたこの言葉を聞いて、私はもう少しも疑いませんでした。私は確実に、日本のキリシタンの子孫を目の前にしているのです。私はこの慰めを神に感謝いたしました。この愛する人たちに取り込まれ、せき立てられて、私は、あなたがフランスから私たちのために持参して下さいました聖母のご像が安置してある祭壇に、彼らを案内しました。(後略)≫
フランス語の報告書の中で、「サンタ・マリアのご像はどこ」という日本語をわざわざローマ字でつづったことで感動の大きさがわかります。
教会もなくパードレ(神父)もいない状況の中で、潜伏キリシタンたちは、七代たったらパードレ様がローマのパパ様のところからやってくる。そしてサンタ・マリアのご像を持ってやってくる、という希望を持ち続けていたのでした。
キリシタン時代のローマのパパ様への熱い想いを 新教皇フランシスコ一世に対して、 私たちももちたいものです。