「教会入り口のマリア像を撤去しなければならなくなりました。福島のほうに寄贈することにしたのですが、よろしいでしょうか」。2月に、シモンチェリ神父様に電話をしました。「大丈夫よ。できたら塚越さんに一言了解をとって下さいね」との師の返事でした。

鷺沼教会横で目下建築中のマンション。この秋、入居が始まります。マンション住民の車の出入り口と教会の入り口が隣接することになるので、相互に見通しをよくする必要があるため、やむなくマリア像を移すことになったわけです(今週中に撤去しなければなりません)。話し合いの結果、福島の桜の聖母幼稚園に贈られることになっています。原発の影響で園児が減少し、外での遊びを制限されている福島の園児たちを聖母が温かく見守って下さることを願いたいと思います。

教会は敷居が高い、とよく言われます。信徒でない方にとっては、教会に入るにはかなりの勇気が要るそうです。それだけに、教会敷地入り口にあった聖母マリア像は教会と地域の人びと、通りがけの方々との懸け橋的な役割を果たしていたと言えると思います。
サレジオ学院幼稚園の卒園生か関係者でしょうか。あるいはまた、ミッションを出られた方なのでしょうか、通学、通勤の際、聖母像の前で手を合わせてお祈りする光景を司祭館の2階からもよく見かけます。時に花束が置かれていたこともありました。塚越さんが洗礼を受けたきっかけも聖母像のところで、シモンチェリ師に声をかけられたからだそうです。

聖母の連祷(リタニエ)の中で、マリア様への呼びかけとして、「くすしきバラの花」、「天の門」、「暁の星」、「上智の座」、「我らが喜びの源」、「病人の回復」、「罪びとの拠り所」、「憂き人の慰め」と唱えながら、聖母の取り次ぎを唱える習慣が長い間、教会にありました。私たちも、日々の生活の中でふと聖母像の前を通る時、しばしの間立ちどまって、射祷を唱えたいものです。ちょうど村人たちが路傍のお地蔵様に対して行ってきたように。

主任司祭 松尾 貢
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