10月に教会は2人のテレジアを祝います。1日は幼きイエスの聖テレジア、15日は大聖テレジアの記念日です。1515年生まれの大聖テレジアは2年後の2015年には生誕500周年を迎えます。
幼きイエスの聖テレジアは19世紀終盤、1897年に24歳で生涯を終えた聖人です。帰天から百年後の1997年、教皇ヨハネ・パウロ2世は女性として3人目の(大聖テレジア、シエナの聖カタリナに次ぐ)教会博士と宣言しました。中学程度の教育しか受けていなかった観想会の一修道女がどうして教会博士に宣言されたのでしょうか。聖女は自叙伝で次のように書いています。
「私が小さく弱いものであったからこそ、主は私の方に身をかがめ、御自身の愛に関する事柄を秘かに教えて下さったのです。ああ、もしも学問にその生涯を捧げた学者たちが私のところへ尋ねに来たとしたならば、わずか14歳の子供が、彼らの博学も発見できなかった秘密、完徳の秘密を悟っているのを見て、きっと驚いたことでしょう」。
この言葉は<知識の人>と<知恵の人>の違いをよく示しています。
さて、調布のチマッティ資料館に行きますと、名曲「赤とんぼ」の作詞で知られる三木露風作詞・V.チマッティ作曲の「テレジア賛歌」8曲の楽譜を見ることができます。さらに、宮澤賢治の詩にテレジアが出てくることはあまり知られていません。賢治の長編の詩『装景手記』の中に次のような詩があります。
かの沼の低平/なぜわたしは枝垂れの雪柳を植えるのか/
小さき聖女テレジアが/水いろの上着を着
羊歯の花をたくさんもって/小さな円い唇でうたいながら/
そこからこっちへでてくるために/
わたしはそこに雪柳を植える/Gaillardox! Gaillardox!
パリ外国宣教会ブスケ師訳の『小さき花――聖女小さきテレジアの自叙伝』を知った賢治は、幼児のごとき心をもって神を探し求めるテレジアの精神が、自ら行い努めている菩薩行のうち、特に嬰児行――自分の能力、智力などを外にあらわさず、自分を嬰児のごとき者として仏道を求める――と通じることを発見、共感を覚えたと言われています。