まもなくクリスマスを迎えます。神が人間となり、歴史の中に入ってこられたことは、神がこれまでに分かち与えた最大の救いであり、人間に対する最大の愛の出来事です。このことを説明するために13世紀から14世紀にかけてドイツで活躍したドミニコ会の神秘神学者マイスター・エックハルトは「神の子の誕生について」という説教の中で、驚くべき譬えでもって私たちに語ってくれます。

あるところに夫婦が住んでいました。ところが、妻が事故で片目を失い、深い悲しみに打ちひしがれました。その悲しみに沈む姿に接して、夫は妻を慰めようと思って言いました。
「片目を失くしたからからといって、そんなに悲しまないで」と。
妻はこう答えるのでした。「私が悲しんでいるのは片目を失くしたからではなく、あなたが以前のように私を愛してくれなくなるのではないか、と不安で、それが悲しいのです」。
すると夫は「妻よ、私はこんなにもお前を愛しているではないか」と言い、しばらくして、自分の目をえぐり出して妻のところに来て言うのでした。「妻よ、お前への愛の証しに、お前と同じになった。私も片目しかないのだよ」。

エックハルトは、人間もこの妻と同じ立場であると言います。人間は、神がこれほどに私たちを愛してくれていることを理解できません。それゆえ、神は自ら「片方の目をえぐり出して」人間の姿となったのです。これが< 受肉 INCARNATION >、「肉となった」(ヨハネ1章14節)の真意なのです。

たしかに、エックハルトが語る神の愛は狂気じみています。しかしヨハネの第1の手紙4章18節にあるように「愛には恐れがありません。完全な愛は恐れを閉め出します」という完全な愛です。私たちがどんなに惨めな状態であっても、弱さの極地の状態であっても、神様は私たちが恐れなく近づいてくることを熱く望んでおられるのです。神様は神でおられるのに、人間となるまで私たちに近寄られたのですから。
エックハルトはまた言っています。“神は今日も魂の内奥で生まれ続けておられるのです”と。

主任司祭 松尾 貢
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