今日は “主の奉献の主日” です。今日読まれるルカ福音書の冒頭2章22節に「モーセの律法に定められた彼らの期間が過ぎたとき」とあります。旧約では律法に定められている清めの期間が過ぎると、両親は幼子をエルザレムに伴い、その子を神に捧げました。その奉献を受けとめるのは、普通は祭司なのですが、幼子イエスの場合は〈ひら〉の信仰者である老シメオンでした。シメオンは幼子を両手に受けて、神を褒め称えました。
ルカによる福音書は、主イエスの誕生をめぐって4つの賛歌を書き残していますが、その最後の賛歌がシメオンの賛歌です。
- マリアの賛歌「マニフィカト Magnificat」
- 洗礼者ヨハネの父ザカリアの「ベネディクトス Benedictus」
- 天の軍勢の賛歌「グロリア Gloria in excelsis Deo」
- シメオンの賛歌「ヌンク ディミッティス Nunc dimittis」
シメオンは何故こんな賛歌を歌うことができたのでしょうか。そのヒントは25、26、27節と3度も繰り返して「聖霊」について語っていることです。聖霊がシメオンを導いていた、彼に宿っていた。神が彼と共にあったのです。シメオンは「イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた」のです。
年を取ると、自分が年を取ることを悲しむようになります。周囲の者が自分をどんなに親切に取り扱うか、扱わないかばかりがとても気になるようになります。しかし、老シメオンは神の民といわれるイスラエルが慰められなければ、自分は死ぬわけにはいかないという祈りを持っていました。周りの人の思い、生き方を見続けていく姿勢を持っていたのです。
今年の大河ドラマの主役は黒田官兵衛。彼の霊名はシメオンですが、今日の福音のシメオンなのでしょうか。5世紀のシリアの柱上修道者、聖シメオンの可能性もあります。有岡城の荒木村重を説得に行き、捕らえられ、地下牢に閉じ込められ、生涯、足が不自由であった官兵衛には苦業の聖人シメオンがふさわしいとイエズス会宣教師が霊名として勧めた可能性もあります。どちらのシメオンであっても、証し人としては素晴らしい方には違いありません。