江戸時代後期の良寛和尚も大震災の被災者だったという。記録によると、文政11年(1828年)11月12日、良寛は越後三条で大地震を体験した。友人からの見舞い状にしたためた良寛の返信の中に、次のような文章が残っている。
「地しんは信(まこと)に大変に候。野僧草庵ハ何事もなく、親るい中、死人もなく、めで度候」と述べながら、「うちつけにしなばしなずてながらえてかかるうきめを見るがわびしさ」と詠っている。
さらに禅宗の僧らしく、「災難に逢時節には 災難に逢がよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。死ぬ時節には、是ハこれ災難を のがるる妙法にて候」と達観した心境を吐露している。
以上の禅の悟りは、良寛和尚もその法系にあった曹洞宗の開祖、道元禅師の著書『正法眼蔵』生死の巻に出てくる言葉と軌を一にしている。
この生死はすなわち仏の御いのちなり。
これをいとひすてんとすれば、すなわち
ほとけの御いのちをうしなはんとするなり。
旧約聖書のヨブ記や現代のキリスト教詩人・星野富弘にも同様の捉え方が見られる。
- 与えるのも 主 奪われるのも 主 主に賛美 (ヨブ記1・21)
- 失うということと与えられるということは隣同士なのかもしれない
しかし、もし良寛和尚が家族・親類の中から被害者をだしていたら、上記のような達観した心境でいられただろうか、という思いもある。あれほどの被災、今尚苦しんでおらえる方に思いを馳せると、名言といわれる言葉もなかなか腑に落ちないのではないだろうか。千葉県の幼い女子の質問に「わからないのです」と世の不条理と不可思議さを素直に述べ、神さまはいつも共にいて、支えてくださることを信じましょうとよびかけられた前教皇様の真摯さが印象深い。
2月の臨時司教会議で、日本司教団は2014年3月11日以降また3年、現行支援の継続を決定しました。司教団の方針にそって、鷺沼教会の支援活動をしっかりと継続してまいりましょう。