10年ほど前、 四谷の管区長館で仕事をしていたときのことです。
ある日、別府のシモンチェリ神父様から電話がありました。もうすぐ休暇でイタリアに帰国するのだが、親戚の者から本居宣長の本を頼まれている。手に入れてもらえないか、という内容でした。
電話口で「もとおり……」と言われたとき、最初はなんのことか理解できませんでした。シモンチェリ師といえば昔々、調布の神学校で教育学やスコラ哲学を教えておられましたが、日本文学や歴史にさほど興味を示す方ではなかったので、意外な感じがしたのでした。話をよく聞いてみると、師の姪っ子さんは大学で日本文学を専攻し、現代の詩人・大岡信を研究したそうです。そしてその姪っ子の娘さんも大学で日本文学を志し、江戸時代の国学を代表する本居宣長を研究なさっているという。もちろんすぐに本を探し求めて、お渡ししました。
自分の叔父さんが遠い極東の国に宣教師として活躍している。3、4年ごとに帰国して自分の家で日本での宣教・司牧活動を話してくれる。そんな体験を重ねるうちに、姪っ子さんは日本や日本人のことについてもっと知りたいと思いが強くなっていったに違いありません。そして日本の現代詩人に関心をもつにいたった。更に、そんな母親の影響を受けて、その娘さんも、大叔父の働く東の国の江戸文学の研究家となったというわけです。
シモンチェリ師といえばイタリアのvespaのスクーターに乗って、夕方聖マリアンナ大学病院に病者訪問に行く姿が印象的でした。信号で停車しているときにも近くを歩いている人に誰彼となく声をかけ、駐車場の係りの人にも“ご苦労様、大丈夫”と気さくに挨拶するのが日課でした。交番のおまわりさん、ナースステーションの看護師さん、病室の皆さんに微笑みながら“大丈夫”“心は何のため”とシモンチェリ語録で語りかけるのでした。それをきっかけに教会に足を運ぶようになった方も多数おられます。
その神父様が今年司祭叙階60周年、ダイアモンドのお祝いを迎えます。ご自分より十も二十も年下の司祭たちの介護に尽くしておられる師に末長い健康のお恵みを祈り、深い感謝を捧げたいものです。