10月4日はアシジのフランシスコの記念日でした。何故、イエズス会員ベルゴリオ枢機卿が教皇に選ばれたとき、フランシスコという名をとられたかについて、『教皇フランシスコ講話集1』(カトリック中央協議会刊)に詳しく掲載されているので、ご紹介したい。メディア関係者への挨拶の中で教皇自らが詳しく説明なさっている。

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ローマ司教がなぜフランシスコと名乗ることを望んだのか分からない方もおられるかもしれません。フランシスコ・ザビエル、フランシスコ・サレジオ、あるいはアシジのフランシスコのことを考える方もいるかもしれません。

皆さんにお話ししたいことがあります。教皇選挙の際、私の隣にはサンパウロ名誉大司教のクラウディオ・フンメス枢機卿がおられました。彼は本当に親友です。少し危険な状態になってきたとき、彼は私を励ましてくれました。得票数が三分の二になると、恒例の拍手が起こりました。教皇が選出されたからです。フンメス枢機卿はわたしを抱擁し接吻して、こう言いました。「貧しい人々のことを忘れないでください」。貧しい人々。貧しい人々。この言葉が私の中に入ってきました。その後すぐに、貧しい人々との関連で、私はアシジのフランシスコのことを考えました。それから私は、投票数の計算が続き、全て終わるまで、戦争のことを考えました。フランシスコは平和の人です。

こうしてアシジのフランシスコという名前が私の心に入ってきました。フランシスコは私にとって貧しさの人、平和の人です。被造物を愛し、守った人です。現代においても、私たちは被造物とあまりよくない関係をもっているのではないでしょうか。フランシスコという人、この貧しい人は、この平和の精神も私たちに与えてくれます。

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10月5日から2週間開催される家庭についてのシノドス(世界代表司教会議)開幕ミサで教皇はマタイ福音書の「邪悪な牧者は自分では指一本動かすことなく、耐え難い重荷を他人に負わせる」という言葉を引用。「シノドスにおいては素晴らしい意見の交換が重要なのではなく、神のご計画を明確に把握し、努力すること」を強調されました。教皇は着座以来1年半、信徒の中に多い離婚経験者、同居カップル、シングルマザーを排除し裁くのではなく、家庭の崩壊により<傷を負った者> のケアーに尽くすべきだと主張しておられる。

主任司祭 松尾 貢
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