降誕祭と復活祭前にゆるしの秘跡を受ける方の中に一人のシスターがおられます。そのシスターは告白後の悔い改めの祈りのときに、「痛悔の祈りとして、“マナセの祈り”を唱えていいでしょうか」と断って、新共同訳聖書の続編の最後に載っているマナセの祈りをなさいます。
“マナセの祈り”は神の無限の憐れみを信じて、罪を深く悔む個人的な祈りで、ユダヤ教やキリスト教の教派を超えて流布し、高く評価されている祈りです。全15節の短い祈りですが、11節~15節をご紹介しましょう。
今、わたしは心のひざをかがめて あなたの憐れみを求めます。
罪を犯しました。主よ、罪を犯しました。犯したとがを、わたしは認めます。あなたに乞い求めます。
お赦しください。主よ、お赦しください。とがもろともにわたしを滅ぼさないでください。
いつまでも怒り続けて わたしに災いを下すことなく、罪に定めて、地の奥底に捨てないでください。主よ、あなたは悔い改める者の
神だからです。あなたは善き御心を示してくださいます。ふさわしくないわたしを、深い慈しみをもって 救ってくださるからです。
わたしは生涯、絶えずあなたをたたえます。天の軍勢は、あなたを賛美し、栄光はとこしえにあなたのものだからです。アーメン。
長崎の潜伏キリシタンは厳しい迫害下、踏絵をふんだあと、踏んだ足を水で洗い、その水を飲みながら「こんちりさん」(真の痛悔)の祈りを唱えていた、と言われています。「こんちりさん」はゆるしの秘跡の重要な一部です。ゆるしの秘跡は、心で痛悔すること( contritio cordis )、口で告白する( confessio oris )、業で償う( satisfactio operis )という三つの行為から成立し、それに対して司祭が罪の赦しの宣言( abusolutio )を与えて、その人の赦しが成立します。200年以上の司祭不在の中、完全な痛悔としてのこんちりさんの祈りが信徒たちを支えていたわけです。
こんちりさん(真の痛悔)の祈りの心を持って、ゆるしの秘跡に臨みたいものです。