神のいつくしみの主日、子どもたちの初聖体のお祝いの日にあたって、自分の初聖体の日を思い出してみましょう。
欧米や中南米においては、初聖体の日は大きな祝いです。村や町ではブラスバンドが繰り出してお祝いの曲を奏で、子どもたちは小さな花婿・花嫁のように着飾り、お祝いムード一色です。しかし、残念なことに、多くの子は初聖体が済むと教会には来なくなります。洗礼、初聖体、葬儀の3つの機会にしか教会に足を運ばないというのがカトリック国といわれる国々の大方の現状といえるのではないでしょうか。そういう現状を憂慮・痛感していた前教皇ベネディクト十六世は「欧州は宣教地です。欧州に宣教師を派遣して下さい」という問題意識のもと、欧州シノドスを開催されました。同じ問題意識をもっておられる教皇フランシスコが四旬節中なさった一般謁見のお話の一部をご紹介します。その中の具体的な呼びかけに応えていくことは、復活の喜びに生きることにつながることだと思います。
「洗礼を徹底的に生きるとは、わたしたちが自分の町や国の道を歩む時に出会う、堕落したみじめな状況に慣れてしまわないことでもあります。わたしたちには、ある種の態度を受動的に受け入れ、自分たちを取り巻く悲しむべき現実に驚かなくなるおそれがあります。わたしたちは、予想していた毎日のニュースであるかのように、暴力に慣れています。兄弟姉妹が路上で眠り、雨をしのぐ屋根をもたないことに慣れています。神なしに行動できるかのように考える社会に生きることに慣れています。この社会の中で、両親は子どもたちに、祈ることも、十字架のしるしをすることももはや教えません。皆さんにお尋ねします。皆さんの子どもは十字架のしるしができますか。考えてみてください。孫たちは十字架のしるしができますか。十字架のしるしのやり方を彼らに教えましたか。考えて、心の中で答えてください。子どもや孫たちは、主の祈りが唱えられますか。アヴェマリアの祈りで聖母に祈れますか。考えて、心の中で答えてください。このように非キリスト教的な態度と怠惰に慣れることが、わたしたちの心を麻痺させるのです」。