ローマの研修会で「宣教学」の講義をうけたときのことです。教授がアフリカ宣教の課題を話していたとき、アフリカ出身のシスターが発した言葉が耳に残っています。「Padre, Africa e troppo grande」(神父様、アフリカはとっても広いんですよ)。アフリカはとてつもなく広くて多様なのだから、“アフリカ”とひとくくりにして決めつけて欲しくない、そういう思いが詰まった発言でした。
オリエンス宗教研究所長のマタタ師(淳心会)が『きずな』誌(日本カトリック海外宣教者を支援する会機関誌)の6月最新号の巻頭言に次のような文を寄せておられます
「最近、アフリカ大陸には絶え間ない紛争や疫病、貧困などの問題が国際メディアにずいぶん取り上げられています。……ここ数年、日本からキンシャサ(コンゴ民主共和国)にあるカトリック系大学に講義に出かけています。そのたびごとにいつも考えさせられることがあります。それは、なぜアフリカ大陸では殺戮、貧困、絶え間ない疫病などが、いまだに起こりうるのかということです。また、世界からは56か国を抱えるこの大陸が、あたかも一つの国のように思われている要因はどこにあるのか、ということも考えさせられます。……アフリカが世界の人々に十分に理解されていない大陸であることを実感させられます。その要因の一つとして考えられるのは、西洋から作られたアフリカのイメージや世論だと思います」。
昨今、北アフリカから中古の小船にのって、イタリアやギリシャを目指す人々が急増しています。イタリア政府は収容所を作り、登録と受け入れの努力を続けているのですが、財政的にも物理的にも限界に達し、EU加盟国にGDPに応じての難民受け入れ割当案を訴えています。しかしEU加盟国の英、仏、ハンガリー、ポーランドなどは拒否しています。アフリカや中近東諸国の政治的・社会的安定と発展、教育の充実がなければこの問題は解決しないでしょう。過去の植民地時代の負の遺産の結果と捉えることもできる困難な課題です。
離れている日本も対岸の火事と傍観できません。少なくとも、私たちはアフリカや中東の問題を他人事と捉えずに、今、自分たちの外国籍の方々への接し方がどうなのかを反省させられます。