鷺沼教会機関誌「コムニオ」の表紙は、その月の聖人を取り上げています。編集部のメンバーが聖人の写真と名言を選び、解説を担当、紹介しています。今月号で取り上げられた聖人はレオ1世教皇でした。
レオ1世と並んで、欧州でよく知られている11月の聖人は、ツールの聖マルチノです。人の名前をはじめ教会、学校、施設などにマルティン、マルタン、マルティーノというように、その名をつけたものが多くみられます。フランスの保護聖人でもあります。マルチノは殉教をとげずに聖人に列せられた、ヨ―ロッパで最初の人といわれています。
彼は313年にミラノ勅令が出された数年後、現在のハンガリーで生まれました。ローマ帝国の護民官である父親がイタリアのパヴィアに赴任したので、彼はイタリアで育ちました。15歳の時、ローマ軍に入隊し、やがてフランスに従軍します。ある冬の大雪の日でした。アミアンの町の門のところで、マルチノは貧しい男が寒さに震えているのを見かけます。そのとき彼は手許にお金を持っていなかったので、自分のマントを二つに切り、それを分けてやりました。半分のマントを来ている彼を、人々は笑いものにしました。
その夜、マルチノが眠っていたとき、夢の中で、半分のマントをまとったキリスト様が現れました。キリスト様は、傍にいた天使たちにこう語りかけていました。
「ごらん、マルチノはまだ洗礼も受けていないのに、私にこのマントを着せてくれたんだよ」と。
そのとき、マルチノは、「最も小さな者にしたことは私にしたことである」という聖書の中にあるイエスのみ言葉(マタイ25章40節)を思い出したのです。そして、この出来事をきっかけに、洗礼を受ける決心をし、339年の復活祭に洗礼を受けました。
「私はキリストの兵士となった。戦うことはできない」と、軍隊を離れ、ポアチエの司教聖ヒラリオと出会い、その指導のもとで、修道院を創立し、ツールの司教となっていきます。
岩波文庫にある『トルストイ民話集』の中にマルチノのエピソードにそっくりな話が収められています。