「あわれみを生涯の使命とした、あまたの聖人福者にも祈ります。とりわけ、いつくしみの偉大な使徒である聖ファウスティナ・コヴァルスカに心を向けます。彼女は、神のいつくしみの深みに入るよう招かれたかたです。聖女がわたしたちのために執り成してくださいますように」。
いつくしみの特別聖年公布の大勅書『イエス・キリスト、父のいつくしみのみ顔』の中で、教皇フランシスコは上記のように、聖ファウスティーナを憐れみの使徒として紹介しています。鷺沼教会の小聖堂にも、聖ファウスティナの慈しみのイエス様の大きな絵がかざってありますが、聖ファウスティナとはどんな方なのでしょうか?
聖女は1905年にポーランド北部で生まれました。敬虔な両親から信仰生活の手ほどきを受けますが、当時はロシアの支配下、貧しい農家ということもあって、充分な教育を受けることはできませんでした。19歳のとき、内的な声に気づき、やがてその声の主がイエス・キリストであると確信、「あわれみの聖母会」という観想修道会の門をたたきました。持参金などの問題で、すぐには入会できなかったのですが、26年に着衣、28年に初誓願を宣立しました。修道者として台所や庭仕事に励みます。1931年2月22日の夜、日記に次のように書き記しました。
イエスが彼女の前に「神の慈しみの王」として現れます。イエスは白い衣をまとい、赤と青の光線を彼の心臓の部分から放射していました。そしてイエスは次のように伝えます。
あなたが見たイメージを見本にして絵を描き、次の言葉を添えなさい。「イエスよ、私はあなたを信じます」。最初にあなたの教会で、そしてそこを通じて全世界で、このイメージが尊重されることを強く望む。私は、このイメージを尊重する魂は苦しめられることはないと、約束する。
3年後、聖女の聴罪司祭となったソポチコ師のとりなしで大学教授で画家でもあるエウゲニウシュ・カジミエロフスキがファウスティナの指示でわたしたちが見ているイエスの絵を完成しました。聖女は1938年10月5日に帰天。イエス様と同じ33歳の生涯でした。
現在、聖女の遺骨が日本を巡回しています。横浜教区では9月頃横浜戸部教会に巡回の予定です。