この夏行われるリオでのオリンピックの出場を目指して、いろいろな競技で最終選考が行われています。先日、パラリンピックの車いすの代表選手決定という報道がありました。

車いすテニスといえば、男子では国枝慎吾選手、女子では上地結衣選手が有名です。その上地選手とダブルスを組む選手が二條美穂選手で、5月27日に有明テニスの森公園で行われた女子3位決定戦でロシアを破り、リオ出場を決めました。

ところで、4月22日に帰天なさった二條正基さんは、日曜日朝7時のミサの常連メンバーでした。日曜日の朝7時のミサのおり、祭壇にむかって右側真ん中よりやや前の方に席をとっておられた二條さんの姿が懐かしく思い出されます。二條さんの葬儀が終わり、目黒の桐ケ谷斎場に親類縁者や二條あかねシスターが属していた援助会のシスター達が集いました。その中に車いすの若い女性がいらして、南アフリカから羽田に着いたばかりです、という話をなさっていました。聞くと、車いすテニスの選手で、世界ランキングの順位を一つでもあげるために国内外の大会を転戦しているとのことでした。その車いすのアスリートが二條さんの息子さんのお嫁さん、二條美穂さんだったわけです。

美穂さんは北海道出身。高校時代から大工を目指していたそうです。就職して現場責任者の棟梁になります。だが、2003年12月20日、旭川市内の建築現場で作業中に貧血を起こし、足場から転落。脊髄を損傷し、車いす生活になります。半年以上に及ぶ入院生活のあと、1日だけ許された自宅での外泊のとき、寝付けずにつけたテレビで車いすテニスのドキュメンタリー番組をみて、引き込まれたそうです。退院して5日後には競技を始めたそうです。やがて、上を目指すために活動拠点を横浜に移し、元日本代表監督の指導をあおいで、実力をつけていったとのこと。「車イスになって、世界が狭まるわけではない。お世話になった人たちに恩返しするためにもパラリンピックに出たい」という彼女の夢の実現も間もなくです。

天国の二條正基さんもあかねシスターもきっと喜んで、大きな声援を送っていらっしゃることでしょう。

主任司祭 松尾 貢
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