ウンベルト記

はじめまして No.8(完)

2001年1月31日、聖ドン・ボスコの祝日に、聖人からきっと特別な恵みを受けられると思い巡らしながら作った、美味いパスタボロネーゼを赤ワインといただき、皿洗いをしていると、ピンポ~ン! と、郵便屋さんが東京サレジオ本部から異動命令の手紙を持ってきた。〔四月から横浜教区でサレジオ会派遣協力司祭として、中南米の出稼ぎ労働者やそのファミリーの司牧手伝いを命ずる……〕との内容だった。それからは、大和教会を中心に、藤沢、湘南台、厚木、愛川郡、平塚、秦野を駆け回り、70歳のウンベルトは三か所でミサ、洗礼、結婚式、葬儀をこなした。その頃も首の皺、たるみは心配だったが、今は、皺周りの筋肉さえも動かせなくなっている……。

日本に来たとき、日本語は難しく読み書きを覚えることは不可能に近いと思っていた。しかし20か国の中南米諸国の陽気な人々は、十人十色どころか、20か国20色だ!この出稼ぎ労働者の中には、都会の人もいれば、アマゾンやアンデス山脈の寒村生まれの人々もいるわけで、混沌たるものだった。しかも皆、子だくさんファミリーだけに、“がきんこ”も多く、異文化の壁を理解しようと思っても、朝から晩まで多忙な毎日。本当は、もっと上達したかった日本語を勉強する力も時間もなかった。

12年後、教区の契約任期満了で、またもや異動命令。今度は引退したお年寄りの集まっている東京下井草教会隣接の杉並修道院に。大和教会裏の住まいの荷物をたたんで、送って、部屋を整理した。これからどうやって過ごそうかな…?僕は45年間が教育畑、16年間が教会司牧で、この時は失業者だったが、どうもじっとしていることができないので、杉並区役所でボランティアグループに入ろう…と心に決めた、と思ったら、棚からぼた餅。大和市にあるカトリック学校大和学園とセシリア短期大学の学長が、うちの学園のチャプレンとなってほしいと名乗り出てくれた。お断りしてはみたが話はトントン拍子で決まり、3月末に打ち合わせ会議、4月1日、入学式ミサとスピーチ、キリスト教学90分×2コマ=3時間、全学園の新人先生方の一年間キリスト教の月一回オリエンテーションと聖書、定期ミサと記念行事担当ということになった。それももう3年目。またお手伝いさんとしては下井草教会に2年、今年からは鷺沼教会に。

振り返って考えてみると、僕にたいしての神様のみ旨、その導き、慈しみは計り知れない。劣等生で下手の横好きのこの僕が、どうしてだろう?役に立たんばかりか、邪魔者、大荷物、無数の枝が折れた老大木で、すでに片足はお墓の中に突っ込んで、もう一つの足を上げてまさにその中に入れようとしている者。贅肉たっぷり有り余って、本当にアフリカの野獣が損しているね……。「ああ、日本人に生まれて良かった!」とテレビで日本人は言っていたが、「あなたたちは、その100倍の報いが得られる」とイエスは言われる。そして僕はそれを今、その100倍の報いを受け取っています。生まれた国からは離れたが、今、立派な国に受け入れられて、家族はないが、今、100以上の家族の愛情に包まれている。涙、涙です!

神に感謝感激雨あられ! 残りの人生では神様のお恵みに応え、皆さまのために祈り、多くの祝福を与えながら、ここで幕を閉じたいと願っています。

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