「日本人として最初に司祭になったのは誰ですか?」1月の日曜日、教会学校のカテキスタから受けた質問です。わからなかったので、調べてみました。H.チースリク著『キリシタン時代の日本人司祭』(教文館発行)に詳しい説明が載っていました。答えは「セバスティアン木村、にあばらルイスの二人です」。二人ともイエズス会員で1601年9月、長崎でセルケイラ司教から叙階されました。二人の略歴は次の通りです。
- セバスティアン木村(1565頃~1622)
- 平戸に出生。ザビエルが鹿児島を発って、京へ行く途中、2か月ほど平戸に滞在しました。ポルトガルとの交易を希望していた領主松浦隆信は好意を示し、布教を許可します。最初の受洗者はザビエルが泊まっていた屋敷の主人とその一家でした。松浦家に仕えていた武士、セバスティアンの祖父にあたる方でした。平戸の教会はその後、波乱の多い月日を重ねますが、木村一家は弾圧や迫害に屈しませんでした。木村の二人の孫、セバスティアンとレオナルドはともにイエズス会に入り、セバスティアンは最初の日本人司祭、レオナルドは画家として活躍し、二人とも殉教し、205福者殉教者の中に含まれています。巡察師ヴァリニャーノの方針で有馬のセミナリオが1580年の春に開設されたとき、25歳になっていた木村セバスティアンも入学します。1584年にセミナリオ出身の最初の5人がイエズス会入会を許されたとき、彼もその一人でした。その後、京での宣教に従事、1590年から天草のコレジョ、さらにマカオで哲学・神学を修め、1600年8月に日本へ戻り助祭叙階、翌年司祭に叙階されました。
- にあばらルイス(1564頃~1618)
- イエズス会名簿にはNIABARAと書かれており、漢字表記は不明。宮原の誤りか、新原の音便か解釈がわかれており、普通は、にあばらと平仮名表記です。平戸生まれですが後に長崎在住。セミナリオ入学、助祭・司祭叙階は上記セバスティアン木村と同じ。1614年の海外追放でマカオに赴き、1618年日本に潜入すべくガレウタ船に乗船しましたが、台風の為難破し帰天しました。
四日市志願生来会、2月26日には横浜教区の新司祭・牧山師の初ミサ。また、2月28日には西村英樹神学生が司祭・助祭候補者の認定を受けます。邦人司祭育成のために祈りを続けましょう。
主任司祭 松尾 貢