今日2月5日は日本26聖人の記念日。明後日7日には大阪城ホールで高山右近の列福式が行われます。また『沈黙』が上映中で、キリシタン時代に思いを馳せる機会が多いこの頃です。鑑賞なさった皆様はどういう印象をもたれたでしょうか。スコセッシ監督が27年間も温めていた作品だけあって見応えがあり、考えさせることの多い作品でした。2点、述べさせてください。

当然のことですが、遠藤周作の『沈黙』は“小説”です。史実では、1638年にマカオで日本と中国の巡察師に任命されたアントニオ・ルビノ師(1578~1643)がマニラで日本行きの同志を募り日本潜入を計画します。2グループに分かれて行くことになり、ルビノ第1団(ルビノ師を含め5名)は1641年8月薩摩甑島上陸後に捕らえられて、長崎での長い拷問を受け、ついに1643年3月穴吊りの責めを受けて殉教します。準管区長マルケス師が指揮したルビノ第2団に属していたキアラ(1602~1685年。小説ではロドリゴ)師ら5人の一行は、当初は津軽ないし蝦夷へ行く予定でしたが、天候不順のため長崎・平戸・対馬を巡り、筑前大島に立ち寄った際捕縛され、長崎に連行、やがて江戸におくられます。1642年8月のことでした。評定所での取り調べ、穴吊るしの拷問で全員棄教しました。再三取り消しを主張しましたが、背教者として全員が井上筑後守政重の切支丹屋敷に幽閉されます。棄教したのち<目明し忠庵>として奉行のもとで働いたフェレイラとは違い、彼らは釈放されませんでした。2、3年の間に4名は亡くなりますが、キアラは死刑者・岡本三右衛門の名前を付けられ、妻娘をあてがわれました。井上の覚書『契利斯督記』または牢番の原甚五兵衛の日記などによって、たびたびキアラは「不届き者」と記されています。1674年にキリスト教について本を書き、翌年そのために吟味を受けていたこと、軟禁状態が最後まで続いたことを考えれば、彼が最後まで背教を否定し続けたことが十分推察されます。

第2の印象は“踏絵”の場面の多さでした。自分の先祖は1628年から1857年まで約230年間にわたって踏絵を踏み続け、踏んだ後は足を水で洗い、その水を飲みほしながらコンチリサン(悔悟)の祈りを唱え続けてきたのだという歴史の重さ。浦上切支丹の末裔としては他人事ではないシーンの連続でした。

主任司祭  松尾 貢

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