先週土曜日、府中カトリック墓地で故・酒井新二氏の納骨式がありました。春の予定でしたが、直前になって奥様の酒井陽子さんが足の怪我をなさり、延期、暑い夏での納骨式になりました。共同通信社長時代のゴルバチョフ大統領や鄧小平や趙紫陽ら中国共産党のトップとの対談の写真なども見せていただき、酒井氏のジャーナリストとしてのご活躍、鷺沼教会の揺籃の時期からのご尽力に思いを馳せた、ひと時でした。
カトリック社会問題研究所発行の『福音と社会』という季刊誌の290号は酒井新二氏追悼特集が組まれています。その中から興味深いエピソードをご紹介しましょう。
〇葉隠と聖書
氏は海軍に入隊する際、私物として「聖書」をなんとか持ち込むことはできないか、と考えたそうです。そこで、思いついたのが、「葉隠」なら取り上げられることはなかろう。早速「葉隠」の中身と聖書を入れ替えて、無事持ち込むことに成功したそうです。
〇二回の原爆体験
氏は昭和20年8月上旬、赴任地の松山航空隊から長崎の大村航空隊への出張を命じられます。8月5日、呉市に一泊。6日朝、出発の時、広島方面に「激しい爆風と爆音が聞こえました。広島市の上空にキノコ雲が出ていました。列車は市内には入れず、爆心地を2時間歩いて広島駅まで行きました」。そして長崎県大村市に着き、9日朝、長崎にも原爆が投下されたことを知ります。帰途、長崎の状況を直視。呉の海軍基地に戻り、惨状を報告して、一刻も早く戦争を止めるべきだと上官に報告しましたが、「貴様、何を言うか!」と怒鳴られたそうです。
〇上五島・青砂ケ浦教会での1年
終戦となったが、朝鮮にいた家族の行方は分からない。暁星中学時代に世話になった七田神父の手伝いをしながら、上五島の青砂ケ浦教会で過ごした祈りと労働の日々は、その後の人生に大きな支えとなりました。
スイスの田舎町で牧会していたプロテスタントの教義学者カール・バルトは、片手に聖書、片手に新聞を持って、日曜の礼拝説教の準備をしていたそうです。カトリックジャーナリスト酒井新二氏の生き方もまさにその生きざまだったと言えるのではないでしょうか。
主任司祭 松尾 貢