先日開催された横浜教区司祭研修会の講師は、イエズス会の沖下昌寛修道士でした。ブラザーは現在「七十二人の集い」という、ひきこもり支援当事者団体の代表をなさっておられます。

ブラザーは20歳の大学生の時、ひきこもりになりました。その体験は本人にとっても、家族にとっても痛みであり、トラウマとして抱えていたので、できるだけ思い出さないよう触れないようにしていたそうです。しかし、洗礼を受け、イエズス会に入会し、聖書を学ぶうちに、そうではないことに気づかされたそうです。

モーゼは、イスラエルの民に頻繁に“思い出せ!”と繰り返します。エジプトの奴隷状態から救われたあの出エジプトの出来事、砂漠を放浪していたとき、水を、マナを、うずらを与えられたことを思い出せ等々。ユダヤ・キリスト教は歴史の宗教、出来事の宗教ですから、その歴史や出来事を直視することが肝要なのです。

そこで、ブラザーは自分の体験に向き合い、そのひきこもりの出来事の意味、そのとき体験した両親の想いの深さを見つめながら、この運動を始められたそうです。「七十二人の集い」紹介パンフレットには次のように記されています。

“もう30年前のことですが、二十歳の時にひきこもりを5年近く過ごしました。その時の経験は忘れられないし、今の自分にとって大切なことです。ひきこもっていた頃、両親家族を困らせたことを振り返り、初めは「ひきこもりの親」のために、次に「ひきこもり本人」や支援者のために何かしたいと思うようになりました。ルカ福音書10章に記されている七十二人の弟子たちの派遣の出来事に感じるところがあり、団体の名称としました”。

ブラザー沖下は言います。“活動のスタイルはとても簡単です。一人ひとりが自分自身を見つめ、互いに励みを与え合うのです。疲れているのなら疲れたままで、痛みがあるのなら痛いままで、素の自分の姿形を伏せたりせずに、ないことにしたりせずに、他のことにしたりせずに、認めていくのです。この自己イメージは人に見せる自分とは違っていても、神の目にはふさわしいのだと思います。この信仰の事実が人の励みになるのです”。

主任司祭 松尾 貢

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