​80年ぶりの外国籍司教誕生

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年末12月16日にタルチシオ菊池功前新潟教区長が東京大司教として着座したのに続き、教皇フランシスコは、那覇教区のベラルド押川壽夫司教の引退願いを受理し、沖縄与那原教会主任司祭ウエイン・バーント神父を同教区の司教として任命されました。司教叙階式は来月2月12日に行われます。新司教は米国マサチューセッツ州出身で1954年5月生まれの63歳。カプチン・フランシスコ会員です。

外国人が日本の教区司教になるのは、1941年にキノルド司教(札幌)、ルミュー司教(仙台)、ブルトン司教(福岡)が軍部の要請にそって退任して以来、約80年ぶりとなります。

1941年という年は日本が太平洋戦争に突入する年です。実は昭和14年(1939年)に「宗教団体法」が公布され、宗教法人が公認されることになりますが、文部大臣の干渉権が明示されました。翌、昭和15年(1940年)には皇紀(神武天皇即位の年)2600年であると称されて、全国的に祝典が繰り広げられました。大政翼賛会、産業報国会、大日本婦人会から隣組まで国民生活の全域に統制がしかれていきます。国家や地方自治体による法的宗教規制とともに、司祭や信徒たちの生活行動も苦境の道をたどることになりました。

そのような状況下で、昭和15年(1940年)外国人司教や教区長の多くは自主的に辞任します。チマッティ師の手紙を読むと、早期辞任、邦人司祭養成の緊急課題を力説しています。ローマは辞任を認め、代わりに日本とその植民地のために18名もの日本人司祭を司教あるいは知牧地教区長として任命しました。上記3人の外国人司教の辞任で、日本の教会は邦人司教・教区長に全員代わったわけです。

現在、日本のカトリック教会は日本国籍を持つ信徒より、外国籍信徒の方が多いという状況が続いています。今後ますます外国籍信徒が増加することでしょう。そういう状況下、80年ぶりに外国籍の司教が任命されたことは、新しい時代が来たことを痛感させる人事ではないでしょうか。一般企業と同様、その流れはますます進んでいくと思われます。そういう意味では今回の米国人司教任命を特別な想いで、歓迎したいと思います。

主任司祭 松尾 貢


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