伊東マンショら天正少年使節団がローマに着いたのは1585年の3月末のことでした。時の教皇はグレゴリオ13世でしたが4月10日に帰天なさいます。すぐにコンクラーベ(教皇選挙)が開かれ、4月24日に教皇シスト5世が誕生します。なんと、天正少年使節たちは70日間のローマ滞在中に、二人の教皇との謁見という体験をしたわけです。

そのグレゴリオ13世教皇ですが、フィリッポ・ネリのオラトリオ会の認可、大聖テレジアのカルメル会改革の認可、対抗宗教改革の一環として司祭養成のため各国に新設した20もの神学校の運営をイエズス会に託すなど改革に尽力した教皇として知られています。イエズス会はお礼の意味を込めて、イエズス会の養成機関の最高峰コレジオ・ロマーノを教皇の名をとって、グレゴリアン大学と改名したほどでした。

もう一つ、この教皇が果たした改革は暦の改革でした。従来使用していたユリウス歴は太陽暦の一つで、紀元前45年から使用されてきていましたが、この暦では平年は365日で、4年に一度366日の閏年を設けていました。しかし、この時期10日間のずれが生まれていました。復活祭がだんだん夏に近づいていくのを危惧した教皇は10日をカットし、暦を微調整し、いわゆるグレゴリオ暦を定めました。

さて、キリシタン時代に東洋にやってきた宣教師たちは太陽暦を持参します。当時、東洋では陰暦が用いられていました。すなわち太陰月に基づいて,1ヵ月を29日あるいは30日にしたものです。この暦ですと、旧正月が四旬節と重なる場合がよくあるのです。例えば今年2018年の場合、灰の水曜日(四旬節の始まり)は2月14日ですが、旧正月(中国では春節、ベトナムではテト)の始まりは2月16日です。約一週間、盛大なお祭りを祝うわけです。16世紀から17世紀、中国では典礼問題として大問題となりました。イエズス会は適応主義の下、春節を優先してよろしい、春節が終わってから、苦業と節制に励みなさいと指導しました。これに対して、フランシスコ会やドミニコ会、パリ外国宣教会は教会の暦を優先すべし、という態度を崩さず、衝突したわけです。

日本ではその心配は杞憂です。14日の灰の水曜日から始まったキリストの苦しみと十字架の死を記念する季節を熱心に送りたいものです。

主任司祭 松尾 貢

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