最初に来日したサレジオ会宣教師団がイタリアのジェノヴァ港でドイツの客船フルダ号に乗船したのは、1925年12月29日のことでした。団長は46歳のチマッティ師。他に5人の司祭と3人の修道士、計9名の一行でした。その中に37歳になるアントニオ・カヴォリ師がいました。後に宮崎教会の主任司祭となり、宮崎カリタス修道女会(現・イエスのカリタス修道会)を創立した方です。彼はもともと、リミニ教区司祭で第一次世界大戦に従軍司祭として参戦した経歴の持ち主でした。
1926年2月8日、門司港に上陸するまでの40数日の船上生活の中でウイーン大学留学帰りの上原専禄氏が日本語教師をかってくださったそうです。故郷を離れ、未知の国への不安と寂しさで塞ぎこみがちな若い司祭や修道士を励まし、雰囲気を盛り立てるために、団長のチマッティ師自ら、歌をうたい踊る姿を見て、カヴォリ師は「なんとはしたない!」と批判的に見て、師の慈父的な配慮を理解していなかった、と後日述懐しています。
「教皇様は子供のころ、おどるのは好きでしたか」という質問に教皇フランシスコは次のように答えています。
“わたしはタンゴが大好きです。おどりは、喜びと幸せの表現です。若者はいつも幸せなので、おどって心の中のよろこびを表現するのです。
偉大な王、ダヴィデも踊りましたよ。エルサレムを聖なる町にし、荘厳な行列をして「契約の箱」を運び入れたとき、ダヴィデ王は箱の前で踊り始めました。その様子を見ていたダヴィデの妻ミカルは心の中で、みっともないと、内心嘲笑ったのです。人のよさに目を留めず、すぐ批判的にものをみる癖のことを、「ミカル症候群」と名付けます。大きくなってまじめすぎる人にならないように、子どもたちよ、今はおどりなさい!”
チマッティ師の慈父的な配慮を理解せず、批判的に見ていたというカヴォリ師の反省は私たちにも身に覚えがあるのではないでしょうか。
私たちも人の善さや素晴らしさに目を向けるより、すぐ粗探しをしたがる癖、ミカル症候群にかかっていないかどうか、反省したいものです。
主任司祭 松尾 貢