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​ゆるしの秘跡――神と隣人や環境に開かれてゆく積極性

前回は「堅信の秘跡」の意味を確認してみました。今回は「ゆるしの秘跡」の意味を考えてみましょう。過去に堅信式の前日に「ゆるしの秘跡」にあずかって新たな決意を固めたときの初心に立ち戻りたいものです。

「ゆるしの秘跡」にあずかるときに、たいていの場合、私たちは「自分の失敗」や「自分の落ち度」だけに目を向けがちです。「私は、だめな人間だ」とか「いつも同じ罪を繰り返している」とか、言わば「自分の問題点だけ」に極度に集中してしまうわけです。閉じこもりの状態です。あるいは、他人の悪口や罪をあげつらうだけで、自分を被害者としてあわれもうとします。責任転嫁や身の上話に終始する状態です。閉鎖的な姿勢で自分の安心感を求めているだけでは、あまりにも「せせこましい信仰者」でしかないわけで、情けないです!

しかし、「ゆるしの秘跡」のほんとうの方向性は、神や隣人に開かれることなのではないでしょうか。つまり、「神と隣人との関わりに向けて開かれてゆくこと」を目指して、前向きに決意することが私たちには必要なのです。愛情に満ちた関わりを求めて前進してゆく姿勢が欠けてしまうと、「ゆるしの秘跡」は修羅場と化します(司教や司祭は聴きたくもない信徒の愚痴にうんざりして疲労困憊しますし、告白者も納得できない不全感と孤独にさいなまれます)。

ですから、明るく、前向きに決意表明をするひとときとして「ゆるしの秘跡」を活用するほうが健康的です。

その際に、三つの関係性に着目するとよいでしょう。教皇フランシスコが勧めるように、自分の内面に閉じこもらずに、むしろ開かれてゆく(相手のもとへ出向く)ことが肝要です。

  1. 私が神とどのように関わっているのか、
  2. 私が他の方々とどのように関わっているのか、
  3. さらには私が他の生きものや道具や環境とどのように関わっているのか、

を真剣に見直すことが欠かせないでしょう。ポイントを、下に、まとめておきましょう。

◎ゆるしの秘跡;じゅうぶんに相手(神、隣人)を大切にしたいと望むこと

「ゆるしの秘跡」は、私がじゅうぶんに相手(神、隣人)を大切にしているかを問うチャンスです。

たとえば、私たちは大切な友人や恩人に対しては、丁寧な態度をとります。そして好きな人ができると、その相手にも親切にします。贈り物を準備し、何とか楽しい雰囲気を創るべく努力します。私たちは好きな相手に対して積極的に関わり、努力をおしみません。徹底的に相手に与えます。

相手を大切にする姿勢を保っているかどうか、を点検するのが「ゆるしの秘跡」です(自分のことよりも、相手に目を向けることが大事です)。

神があらゆる人を大切な相手として認めているならば、私が誰かを差別したり、馬鹿にするときに、神の知りあいをぞんざいに扱うことになります。相手をじゅうぶんに大切にしない状況は、実は神に敵対することです。

協力司祭 阿部仲麻呂

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