先日の聖地巡礼のガイドさんは西郷という50代男性だった。旧約聖書とユダヤ教の魅力に魅かれたプロテスタント牧師だったお父さんに連れられて、日本の高校2年修了でイスラエルに渡り、キブツでヘブライ語を学び、やがてイスラエル人女性と結婚。イスラエル国籍を取り、ユダヤ教に改宗。徴兵も体験したという珍しい経歴のガイドさんだった。プロテスタントの牧師家族だったので聖書にも明るく、10代でかの地に渡ったのでヘブライ語を流暢にあやつり、中東戦争にも従軍した体験から、日本のジャーナリズムとは違った視点から興味深いパレスティナ問題の本質を伺うことができた。「現在の中東問題の混乱の最大の要因は、〈英国〉の二枚舌と自国中心の利益追求」と断言。欧米先進国の責任とアラブ諸国に囲まれたイスラエルの四面楚歌の状況への理解の必要性を熱く解説してくれました。
オリーブ山からエルザレムを見渡しながら、ガイドの西郷さんが「眼下にユダヤ人墓地が拡がっていますが、ここに一人の日本人が眠っているんですよ。小辻節三(1899~1973年)という人です」との説明があった。第二次大戦時、リトアニアにいた杉原千畝の〈命のビザ〉はよく知られているが、そのビザは短期間で切れる通過ビザだったため、滞在延長など懸命にユダヤ人のために便宜を図ったのが小辻だった。杉原と並ぶユダヤ人の恩人だが、日本での知名度は低い。小辻の英文の著書『東京からエルザレム(From Tokyo to Jerusalem)』には、1930年代末、満鉄の松岡洋右総裁の下で得意のヘブライ語により満州のユダヤ人社会の信頼を得、40年代初頭、杉原ビザで日本へ来たユダヤ人たちの滞在期間延長に奔走し、ユダヤ人に友好的な米国に送り出した。それは官憲に睨まれる危険なことだったが、彼は借財し人脈を駆使して献身努力した。スパイの容疑で拷問を受けたこともあるという。彼の生涯は6年前に出された、山田純大著『命のビザを繋いだ男 小辻節三とユダヤ難民』で広く世に知られるようになった。小辻は59年ユダヤ教に改宗。73年、亡くなった彼の遺体はエルザレムへ運ばれ、オリーブ山下のユダヤ人墓地に葬られた。第四次中東戦争の混乱期、聖地で眠りたいという彼の意志をかなえるように奔走したイスラエルのバルハフティック宗教相は、杉原と小辻に助けられた難民の一人だったという。
主任司祭 松尾 貢