新型コロナの影響で、東京大司教区の教会での福島やさい畑販売が中止になり大変困っておられるようです。柳沼千賀子さんは1984年にモロ神父様から受洗礼しましたので、鷺沼とは深いかかわりがあります。柳沼さんは福島の桜の聖母短大で学び、OL生活をなさっていましたが、ネパール宣教を夢見て、修道会入会も果たします。その後退会し、上智で神学を4年間学ばれました。郡山のカトリック校で宗教を教えていましたが、次の仕事を考えているところに震災が起こったわけです。

先日、柳沼さんからのメールに次のようなことが書かれていました。

“「召命」、そうですね。私は召命の意味を取り違えていたことに気づかされました。私は召命というのは自分が心の底からやりたいと思うものと思っていたのですが、エレミヤの召命にあるように、自分ではそんなこと考えてもいなかったのに呼ばれることがまさに召命なのですね。

やさい畑の仕事も言い出しっぺは渡邉賢太郎なんです。震災直後に市内の農家で始めた支援活動もわずか半年でその責任者が資金の無駄使いをしてつぶしてしまい、解散ということになった時に、渡邉が泣き出して「柳沼さんがやってくれたら、この仕事は継続できる」と言い出したんです。確かにやめたら農家も困るし、そこで私はしぶしぶ引き受けることにして今に至っているわけです。フードバンクの仕事も山中さんから声をかけられて〈そうかぁ、じゃあやるかぁ〉という感じで始めたのです。両親の介護も私がやらなければ誰がやる、という立場ですからやるしかない訳で、いずれも私が望んで始めたことではないのです。まさしく「呼ばれた」からやっていることです。時々、なぜ私は八百屋さんになってしまったのだ、と自分がやっていることに不思議を感じながら……思いとしては神学をもっとやりたいのですが。

問題は、やさい畑の後継者がいないことです。どのNPO法人でも同様ですが、その活動内容の特殊性から、非営利活動したいと思う人は自分で独自に立ち上げていますから、人が立ち上げたNPOを引き継ごうという人はいないものだと、この5年間探し回ってたどり着いた結論です。私(今年65歳なので)がやさい畑を辞めたらスタッフは失業してしまうので辞めるわけにはいきません。カトリック教会も大震災の11年目をどうするのか。福島としては今も6万人がディアスポラ状態にありますので、問題解決はしておりません。高齢者の問題はますます深刻さを増してきております。見てしまった(知ってしまった)ことを見なかったことにはできません”。

さしあたって今、このコロナ騒動で困っていることは、首都圏のミサが中止になり野菜販売に行くことができず、私たちも生産者も収入が途絶えてしまったことです。スタッフのお給料を払うことができません。生産者も特に当法人に依存している「ゆべし」「ご飯の素シリーズ」は、スタッフが販売に行くことができない旨を伝えたら青くなって今にも泣きそうだったとのことです。

神様から委ねられたこの活動がみ旨にかなっているなら継続できるようになるでしょうし、そうでなければ閉じることになります。ただ、福島の現状を考えたらとても閉じる時ではないとは思っております。

皆様の暖かいご支援を切にお願いする次第です。

主任司祭  松尾 貢

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