「み国が来ますように」。一つ好奇心が頭をよぎる。果たして、チプリア二司教はこの「み国」をどう理解していたのだろうか。現在使用されている「み国」を「神支配」、あるいはこれに近い意味で使われていたのだろうか?

しかし、この意味で使われてはいなかった。無理もない。当時は、苛烈な迫害の嵐が吹きすさんでおり、ローマ市だけでなく(いな、かえってローマの植民地のほうがもっと熾烈だったとの記録ある)、司教が住んでいた北アフリカ(カルタゴ 現チュニジア)にまで及んでおり(現に彼も殉教している)、信徒たちは、明日は我が身と戦々恐々としていた。それで信徒たちの集会は、遺体を安置した墓地の地下で秘密のうちに行われていた。

そんな状況にあって、「み国がきますように」は、ただ一途に死後の天国のことが念頭にあったことは容易に理解できよう。チプリア二司教はこのあたりの事情を次のように認めている。「信徒の皆さん、キリストは自らの血と受難でもってみ国を勝ち取って下さったのです。私たちもその後に従いみ国に入ろうではありませんか。その国では、おん父自ら、『さあ、私の父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい』。と歓迎して下さいます」。

その後、司教は、エルサレム崩壊後、すでに方々に散っていったユダヤ人の話をしてしみじみと語る。「『言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。み国の子らは、外の暗闇に追い出される。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』私たちにとっては神秘的な出来事で、知恵の届かない不思議な神のご計画によって私たちに現され保証のついた約束が示されたのです」。

主任司祭 長澤幸男

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