「兄弟、姉妹たちよ、私たちが『私たちの父よ!』と祈れるということは、まさに神の恵み(秘跡)であり、天上の神の世界のそのものであります」。
神さまは、私たちが神さまの子どもであることを望まれます。であるからそれをイエスは、神さまを「父よ」と呼ぶように言われました。
チプリアノ司教は、私たちが「主の祈り」を唱えるたびごとに、これぞまさしく信仰告白と水による洗礼でもって、私たちが神の子となるという秘跡になると喝破しています。ちょうどホスチアが感謝の祭儀の時、聖変化により、尊き聖体になるように。
これは、いみじくも聖ヨハネ福音書の最初の「ロゴス讃歌」の一節を思い起こさせます。
「言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人びとには神の子となる資格を与えた。この人びとは、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである」(ヨハネ福音書1章)
主任司祭 長澤幸男