2021年 聖ヨハネ・ボスコの祝日によせて 主任司祭からのメッセージ

アイキャッチ用 ドン・ボスコ

1月31日は、鷺沼教会を管轄しているサレジオ修道会の創立者、聖ヨハネ・ボスコ(ドン・ボスコ)の祝日です。
皆様と共にこの日を祝うため、主任司祭・長澤幸男神父様からのメッセージを掲載致します。

 

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「タリタクム」

主任司祭 長澤 幸男

今日ドン・ボスコの祝日に、マルコによる福音書5章21節から43節を読んでみましょう。そこには、会堂長ヤイロの娘の生き返りと12年間出血症の難病の女性の治癒が記されています。この箇所からたくさんの話がありますが、今日はこの2つの治癒からヒントを得て、今日の若者の難しい状況について話を進めます。就中(なかんずく)、イエスは、少女の死に立ち会って、「この子は、死んだのではない。眠っているのだ」、そして少女に向かって「タリタクム(少女よ起きなさい)」と言われて生き返らせた話は感動的です。
病気の問題がテーマでしょうが、それも単なる体の病気よりも、心理的かつ広く社会全体を覆う若者の社会離れという状況についてであります。実際、両親、学校の教師、そして教会のリーダーが悩んでおるのはこの問題です。
さて、ドン・ボスコだったらどんな解決案を出すでしょうか。

ドン・ボスコは、当時19世紀後半にも、(若者が)一見反社会的な素振りを見せるが、しかしその根っこのところでは善良な心と、問題を解決する能力を持ち合わせていることを見抜いたのでした。彼らも、生きることの意味、真実なものへ憧れ、さらに喜びとか、未来への夢を持っておりました。ドン・ボスコは、上からの目線で彼らを批判し裁くのではなく、愛と尊敬と忍耐を持って接することが大事であると身をもって証ししたのです。

確かに、残念ながら若者が何を考えているのか、私たちは知らないし、またコミュニケーションもできないのが現状です。そして、大人の私たちがちょっとでも若者の提言に対していい加減な回答や、大人の私たちのこれまでの経験、たとえそれが貴重なものであっても、それで判断をすれば、直ちに壁にぶつかってしまいます。
また、さながら絨毯爆撃のように、メディアを通しての情報、それも倫理と宗教の土台もなく、やみくもに毎日テレビやネット上の種々の情報に苛まれる若者に、教会の信徒は、リスクを怖がらず、下手であっても若者との挨拶からはじまって話すこと、彼らの声を聞くこと、そして積極的に生命の大事さと福音の持つ価値を彼らに提示すべきではないでしょうか。

まず第一、この社会は、そして私たち自身、彼ら若者を受け入れているだろうか、自問すべきでしょう。
ドン・ボスコなら、かえって若者に分断の原因ともなる2つの問題を指摘するのではないでしょうか。一つは経済的な格差、もう一つは、社会的に自立していないがため、未来へのしっかりとした希望を持てない若者が大勢いることを指摘するでしょう。その結果、社会から若者を締め出すことになりかねません、ドン・ボスコならきっと彼らに寄り添って彼らと一緒に問題の解決に身を挺しているでしょう。
今日、工業、商業、農業、それに第3次産業の分野で私たちは若者を失いつつあります。ただ利益追求のみにあくせくして、弱い立場の人を理解していない多くの企業、その中で非正規社員として働く沢山の若者を私たちは見て見ぬふりをして自分の地位保持で安閑としていないでしょうか。見過ごしてはいないでしょうか。

ドン・ボスコは、今、信徒のみなさんに福音の証(あかし)を求めております。癒しを求めている多くの若者を見捨てず、彼らとの教会での挨拶にとどまらず、彼らに寄り添って教会の外の話、月曜日から金曜日の生活について、仕事の話をできれば若者とコミュニケーションをすることができれば、信徒の皆さんは、ある意味で教会の秘跡でいうならば8番目の秘跡となるでしょう。

 


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