2021年1月17日 主任司祭からのメッセージ

2021年1月17日 長澤神父様からのメッセージ

緊急事態宣言の再発出を受けて、2月7日まで、公開ミサが中止となっております。
そのため、動画にて長澤神父様から信徒の皆様へのメッセージをお送り致します。(約5分)

《メッセージ全文》
おはようございます。
今回の新型コロナウイルス感染拡大は、私たち人類が経験したことのない未曾有の出来事になりつつあります。コロナウイルス、それは目に見えないものですから、私たちに大きな不安ともなります。死への不安並びに、私たち人に感染させるのではないかという不安です。被害が隣の人に及ぼすということは、大変大きな問題であります。

コロナウイルス、それは私たちは宇宙の起源並びに、生命の起源に思いを馳せることができましょう。しかし同時に、このコロナウイルスによる大きな災難は、私たちに大きな質問を与えます。
「神はなぜこのような悪を許されたのだろうか?」
この苦しみの意味を私たちは考えております。

しかし私たちキリスト者は、四旬節を前にして、キリストの受難を思い起こすことができます。キリストは身に覚えない訴えで苦しみを受け、死に渡されました。しかしキリストは、この苦しみに大きな意味を与えております。
第一に御父への揺るぎない従順。そして、人びとへの愛の奉仕であります。こうして人びとは希望を持つことができるようになりました。

今私たちは、ミサに与れないという大きな犠牲を強いられております。しかし横浜教区のみならず、日本のほかの教区、そしてローマ教区をはじめとする世界の教区の多くの信徒が、同じ苦しみを共有しているのです。バチカンにおいても、集会は自粛され、教皇フランシスコはバチカンの広場に人が集まらないように、ビデオでメッセージを発しております。異常とも思えるこの現象は、私たちに大きな試練ですが、同時に、苦しむ多くの人たちと連帯して試練に立ち向かうことができましょう。これが四旬節の最大の犠牲となりましょう。

多くの信徒の皆さんはこの期間ご聖体に与ることができません。しかし、教会においては、ミサが捧げられております。私も毎日ミサを捧げておりますが、司祭の霊的生活のためだけでなく、教会と世界の善のためにもなります。

なぜなら、たとえ信者が列席できなくとも、感謝の祭儀はキリストの行為であり、教会の行為でもあります。
信徒の皆さんは、たとえミサに参加できなくとも、この教会共同体の一部であり、一つの体である世界の共同体と繋がっているのです。聖体拝領という形で秘跡的な一致を味わえなくとも、自分が「世界の共同体と繋がっているキリストの体の一部である」という確固たる信仰をもって、聖体の秘跡の本来の意味を黙想し、祈りによる霊的聖体拝領をお勧め致します。

教皇フランシスコは、メッセージの中で感染に苦しむ患者のためまた、献身的に奉仕している医療現場の人たちのために祈るように呼びかけております。

まず2月7日までの(緊急事態宣言の)残りの期間、私たち信徒は心を合わせ、今回の災難を世界が克服できるよう、祈りと犠牲をもって過ごしましょう。


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