今年も11月17日から26日までの一週間、教会は聖書週間を迎えます。この期間、私たちは聖書に親しみ、聖書の理解をより深めるときです。

私はこれまで聖書といいますと、読んで霊的な糧とするだけのものだと思っていました。その考えが変わったのは、神学生のときです。当時、神学生の担当をされていて聖書学者であったサレジオ会の石川康輔神父の一言で聖書に対する理解と考え方が大きく変わりました。石川神父様は私にこう言いました。「聖書は祈りだよ」と。単純な一言でしたが、衝撃的でした。聖書は単にみ言葉として読む、あるいは聞くものとばかり思い込んでいました。

聖書がなぜ祈りかというのは、もちろん聖職者が毎日の祈りで使っている「教会の祈り」は、ご存じのように主に旧約聖書の詩編ですが、私たちは聖書の言葉を使って祈ります。私自身、神学生になってからすでに使っていたにもかかわらず、聖書が祈りであるということを意識していませんでした。

確かに詩編を使って祈るとき、本当に深い祈りの言葉だと思います。人間が作ったと思えないほど味わいと深みがあり、神への賛美や願いの祈りもそうですが、本当に素晴らしい祈りです。

教皇フランシスコも今年1月27日の一般謁見の演説で、「聖書を読むにあたっては、神と人間との会話ができるよう、それに祈りを加えることを忘れてはならない」と言われました。つまり教皇も聖書を読むときに、み言葉を祈りの心で読んでいくことの大切さを示されました。

ですから、皆さんも聖書を読むときに、時々、祈りの心で読んでみてはいかがでしょうか。

主任司祭 西本裕二

LINEで送る