1月31日は、サレジオ会の創立者である聖ヨハネ・ボスコ(ドン・ボスコ)の記念日です。
今年鷺沼教会ではその前日、2022年1月30日のミサで記念しました。
四日市志願院の志願生をお迎えして共にお祝いする予定でしたが、今年は残念ながら新型コロナウイルス感染症のため、小教区のみでのお祝いとなりました。
《動画》
(約11分半)
【朗読】
第1朗読: エレミヤ1・4~5, 17~19
第2朗読: Ⅰコリ12・31~13・13
福音朗読: マタイ18・1~6,10
《入祭の挨拶の書き起こし》
修道会が担当する教会におきましては、主日であっても創立者を、祭日としてお祝いすることが認められております。ですから、今日のこの鷺沼教会のミサにおきましては聖ヨハネ・ボスコを、記念したいと思います。
ヨハネ・ボスコは貧しい子供たちのためにその生涯を献げられました。その子供たちと、彼らのために働く協力者、仲間を一つの家族として迎えて家族的な雰囲気の中でお互いのつながりというものを大事にしております。
今日祝うヨハネ・ボスコの残したこの家庭的な雰囲気というものを大事にしながら鷺沼教会が一つの家族となって力を合わせてこれからも共に歩んで行くことができるよう祈ってまいりましょう。
また今日は「世界子供助け合いの日」でもあります。この日は自分たちと異なる環境に置かれている世界中の子どもたちに対する関心を子供たちの中に養い育てることを目指しております。
すべての子どもがお互いに助け合う世界が広がりすべての子供が希望を持って生きることができますよう、合わせて、祈ってまいりましょう。
《説教の書き起こし》
皆さんはドン・ボスコの特徴というものを、ご存知でしょうか?
いくつかありますけれども、その一つに「喜び」というものがあります。
ヨハネ・ボスコが活躍した時代、19世紀のイタリアという国は、「イタリア統一革命」というものがありまして、不安な時代で、政治がイタリア社会に暗い影を落としておりました。またこの時代「ヤンセニズム」という「厳格主義」がはびこっておりまして、教会もその影響を受けて、司祭やシスターたちの多くは非常に厳しい態度をとって、一般の人たちとの間に近づきがたい、大きな壁というものを作っておりました。子供たちも、それを感じていたと思います。
ヨハネ・ボスコ自身、子供の頃、そのような聖職者から冷たい態度を受けた体験を通して、自分はあのような厳しい司祭にはならないと、強い態度をもって決めておりました。そしてそのような、政治の暗い影や聖職者たちの厳格主義というものは、子供たちの笑顔や希望というものを、奪い取っておりました。
そこでヨハネ・ボスコは、子供たちには喜びや希望を与えたいと思いました。
それは喜びの生き方こそキリスト信者の 生き方であり、聖職者の生き方であると考えていたからであります。
このようなヨハネ・ボスコの生き方に影響を与えた人が何人かおりますけれども、特に2人を挙げたいと思います。
その1人が、ヨハネ・ボスコのお母さんでありました、マンマ・マルゲリータです。
ヨハネ・ボスコのお母さんは、彼を幼い頃から女手一つで育て上げました。でも、どんな苦しいときであっても、常に家庭に喜びを絶やさず、お兄さんとヨハネ・ボスコの2人を育て上げたんです。このお母さんの生き方というのは、ヨハネ・ボスコにとって、最も身近で、素晴らしい模範であったと思います。
もう1人は、喜びの聖人と言われましたフィリポ・ネリという司祭です。彼も、ヨハネ・ボスコと同じ、イタリアの信仰篤い家庭に生まれた人です。
ヨハネ・ボスコに先駆けて、子供たちを大事にして、その教育に力を注いでおりました。また病人も大切にし、よく訪れては、励ましておりました。そして彼は多くの人に喜びを撒き散らそうと思って、関わる人にユーモアをもって元気づけ、希望を与えた人であります。
このフィリポ・ネリにとって、喜びというものは、愛の結ぶ豊かな実りであると同時に、神様に至るための道であると考えておりました。
ヨハネ・ボスコは、この司祭をとても尊敬し、彼の生き方に見習って、自分も喜びや希望を与える人になりたいと、望んでおりました。
ヨハネ・ボスコは、厳しい考えを持った人たちとの出会い、そして反対に、喜びを教えてくれた人たちとの出会いの、2つのタイプの人たちと出会いましたけれども、それによってドン・ボスコの人格と生き方というものが、確立していったと思います。
ヨハネ・ボスコの偉大さの一つというのは、模範にならない人たちに対しては、ただ不満とか批判を持つだけではなくて、彼はそれを、自分の成長のためのバネとして、立派な司祭になろうと思ったことにあると思います。
では、ヨハネ・ボスコの喜びとは何でしょうか。
私は外出したときに、最近人を観察してみることが多いんですけれども、コロナ禍の影響があると思いますが、疲れて元気のない人が多いように見えます。しかしこんな時代であっても、時々希望に満ちて、喜びをもった元気な人もおります。喜びというものには、必ずその理由や源泉というものがあります。
ヨハネ・ボスコは、もちろん若者たちとの関わりもその一つでありましたけれども、一番の喜びの源泉は、最高の先生であり尊敬していた、イエス・キリストであります。
イエスは、私たち人間に喜びを与えるために、この世においで下さいました。イエスが与える喜びというものは、本当の喜びであります。心の中から湧き起こってくる喜びです。
つまり、ヨハネ・ボスコの喜びというものは、神に根ざしたものであったということです。
使徒パウロは、この喜びについて有名な言葉を残しております。「神にあって常に喜びなさい。重ねて言います、喜びなさい」(フィリピ4・4)。
パウロも、神を信じて、神と共に歩む中に、本当の喜びがあるということを教えてくれました。
イエスが弟子たちを通して教えてくれたことを、「喜びの福音」「喜びの知らせ」と言います。それは、イエスが教えてくれたことには、永遠の命という希望があるからです。どうやったら本当に幸せになれるのか、何をすれば永遠の命を手にすることができるのかといったように、この世での幸せと、そして後(のち)の世での救いという、大きな希望であります。人間は、この世のことだけに捉われて生きていても、本当の希望が持てないと思います。
イエスは、死んでも終わらない命があるということを、私たちに教えて下さいました。それは、そこに人間の真の喜びがあるからです。
そしてヨハネ・ボスコは、それを信じて生きていただけではなく、他の人にもその喜びを伝えるために、一生懸命に働かれました。
ヨハネ・ボスコは喜びの人でした。皆さんもこのヨハネ・ボスコに倣って、現代コロナ禍にあります多くの心の闇を抱えた人、希望が持てない人、元気がない人たちに対して、どうぞ喜びと希望を与える人になっていただきたいと思います。