以前勤めていた教会の脇の庭の中央に大きな桜の木があります。数年間、元気なくほとんど花を咲かせていませんでした。太い枝も腐食しているようで、素人の目から見たら残念ながら切るしかないと思っていました。ところが植木職人さんに見てもらったところ、「まだ生き返る可能性があるので、太い枝は折れるのを防ぐために3カ所からワイヤーで止めて、土には打ち込み式で肥料を与えて、数年ほど見てみましょう」と言われました。私はまだ復活する可能性があることを聞いて嬉しく思いました。

私たち人間もこの桜の木のように、どんなに衰え、弱っても、神から“復活の希望”が与えられています。そのために神は、私たちの救いを諦めず、常にみ言葉という肥料を蒔いて呼びかけて下さっています。ですから私たちもそれをしっかりと受けとめ、希望のうち神に向かって成長して行かなければならないのではないでしょうか。

主任司祭 西本 裕二

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