つねに新たな心でチャレンジを

アブラム ウルからカナンへの旅(ヨージェフ・モルナー画)

いよいよ来週から主日ミサがサレジオ学院新聖堂で行われます。これまで50年ほど使用されてきた鷺沼教会の聖堂が使われなくなる寂しさを感じておられる方がいるでしょう。それも長年奉仕して来られた方の中にはきっと多いかと思います。その一つには「通い慣れた場所」であること、そしてもう一つはたくさんの「思い出」があるからではないでしょうか。

確かにこのような理由を考えますと、愛着があるのは当然です。決して悪いことではないと思います。しかし、私たちキリスト信者は、つねに同じ場所で同じ状態で留まることに固執してはいけないように思います。それは愛着が深まり過ぎて、変化や新しいことを受け入れにくくしてしまうからです。愛着主義は、社会でも、教会でも、修道会でも発展や進歩を妨げてしまう危険があります。ですから、私たちはさらに10年後、20年後を見据えて、“つねに新たな心で”活動や事業を展開していかなければならないのではないでしょうか。

しかし物事に固執しないというのは簡単なことではないと思います。信仰が伴うでしょう。

聖書の中に、新たなことを始めるのに固執しない心で生きた人が少なからずいます。たとえば信仰の父と言われたアブラハムです。彼は深い信仰と柔軟な心で新たな旅立ちをした人物です。アブラハムは75歳という年齢になって一族を率いて、神のみ旨のために、住み慣れた土地を離れて、行き先の知らない場所に喜んで旅立ちました。
またモーセも同じです。彼もまた80歳になっていましたが、神の約束の言葉を信じて、勇気と希望をもって、捕囚されていたエジプトから出て、遠い約束の地に旅立っています。

伝統や慣習は大事です。しかし発展や進歩の妨げになるならば、私たちは勇気をもって、変えていかなければならないでしょう。
私たちは鷺沼教会の先達の司祭や信徒の方がたが築いてきた伝統や慣習などに対して心から感謝し、良いものは踏襲しつつも、“つねに新たな心で”チャレンジをしていかなければならないのではないでしょうか。

私は昨年、主任司祭に着任し、新聖堂の最後の段階にしか携わっていませんが、鷺沼教会が移転するのは、神のみ旨、また望みであると信じてやっています。もちろん場所も遠くなって通えない方や通うのが大変になる方もいるでしょう。心苦しく思っていますが、新聖堂に移転される方はこれをチャンスとして捉えていただき、前向きに一緒に福音宣教に取り組んで行きましょう。宣教活動において、新しい場所は近隣の方がたや学生など、対象や方法が少し変わるかもしれません。また別な困難もあるかもしれません。それでも私はこれを神が与えた使命として信徒の皆さんと一緒に頑張って行きたいと思っています。

主任司祭 西本 裕二


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