人の苦しみや痛みを自分のものとし、必要なときには手助けする

昨年から7月29日のマルタの記念日に妹マリアと兄ラザロを加えて、聖マルタ、聖マリア、聖ラザロの兄妹を共に祝います。この3人は、イエスから特別に愛された幸せな兄妹であったと言えます。

兄のラザロの死に際して、イエスは涙を流し、よみがえらせました。イエスが涙を流した記述は3箇所あります。一つはエルサレムへ入城されるとき、その都のために泣かれました。それはエルサレムがローマ軍によって滅ぼされることを予見していたからだと思われます。そしてもう一つは、十字架を前にしてゲッセマネの園での祈りのときです。それは人類の罪を悲しんだからだと思われます。しかしラザロの死のような個別の人間のために涙を流した記述は他にありません。

ですからヨハネ福音書11章5節にもあるように「イエスはマルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた」という記述を考えても、イエスがいかにラザロを愛しておられたかが分かります。
またマルタとマリアの姉妹の出来事においても、イエスはマリアに対してはご自分の話を聞く姿を褒めています。そして誠実にご自分をもてなそうとしてせわしく働いていたマルタに対して、大事なことは何かを優しく悟らせています。
このようにイエスはこの3人の兄妹に対しては特別な愛と思いを持っていたように思います。

また彼らは神からだけでなく、人からも愛された兄妹でした。ラザロが亡くなった際、「マリアと一緒に家にいて彼女を慰めていたユダヤ人たちは」とあるように、彼ら兄弟には大勢の知り合いがいて、いかに親しくしていたかが窺えます。

このように彼らは、神からも人からも愛される存在であったと言えるでしょう。ではなぜ彼らは愛されるべき兄妹であったのでしょうか。それは彼らが誠実な心で人に対して“共感できる”人だったのではないかと思います。

「人の苦しみや痛みを自分のものとし、必要なときには手助けする」。そのような心にイエスは特別な愛と思いを持っていたのではないでしょうか。

私たちも神からも、人からも愛されるためには、人の思いを“共感する”心が必要です。そのためにはつねに相手の立場に立って、物事を考えていく姿勢が求められます。そしてそのように生きるならば、私たちも彼らのように神からも人からも愛される存在になれるのではないでしょうか。

主任司祭 西本 裕二

マリアとマルタの家のキリスト(ヨハネス・フェルメール画)

 

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