キリストのエルサレム入城(ピエトロ・ディ・ジョヴァンニ・ダンブロージョ画)

今日から聖週間に入ります。ご存じのように聖週間は、枝の主日に始まって、聖木曜日、聖金曜日、復活徹夜祭など“復活祭”を準備する期間で、キリストの受難と死を記念する典礼が行われる教会にとって特別な時です。
そして特に聖木曜日、聖金曜日、復活徹夜祭の三日間は、キリスト教の典礼の頂点に位置づけられています。それはキリストの復活は教会にとって最も大事な出来事であるからです。ですから復活祭があって、それに先立って、過ぎ越しの聖なる三日間の準備を行います。

◇今日行われる「枝の主日」は、受難の主日とも言われます。それはここからキリストの本当の受難が始まったからです。ユダヤ人の過越祭を間近に控えて、イエスはエルサレムの町に入られます。大勢の民衆は、イエスがダビデ王のようにイスラエルを復興してくれると考え、シュロの枝を道に敷き、「ダビデの子にホザンナ」といって大歓迎します。ところがその同じ民衆は数日後には、豹変するかのようにイエスに対して「殺せ、殺せ、十字架につけろ」と叫びました。枝の主日と聖金曜日に受難朗読を行いますが、信徒の皆さんは、民衆の箇所を朗読します。それは民衆に自分を置き換えることで、自分の罪に気づき、自分もキリストを十字架につけた者になり得ることを考えるためです。

◇「聖木曜日」は、最後の晩餐が行われた日で、聖体の制定と司祭職の制定を記念します。また聖木曜日の典礼では、最後の晩餐の席でイエスが跪いて自ら弟子たちの足を洗ったことを再現する「洗足式」が行われます。象徴として司祭は屈んで信徒の足を洗います。これは謙遜と奉仕の姿を象徴しています。

◇「聖金曜日」は、イエスが亡くなられ、墓に葬られた日として、古代の伝統に従い、教会は唯一ミサを行いません。聖金曜日の典礼は、キリストの受難と死を再現します。儀式の一つとして、「十字架の礼拝」が行われます。しかし、これは悲壮的なものではなく、復活への希望をもって十字架の勝利を賛美するものです。そしてキリストの十字架は神の愛を示すものですから、その愛に感謝するものでもあります。

◇「復活徹夜祭」は、初代教会では日が落ちてから、信者は祈って夜を過ごすために集まりました。徹夜祭の初めにユダヤ人の伝統に従ってランプを灯しました。それは目覚めて祈りながら待つためです。
このような伝統に従い、復活徹夜祭の祭儀が執り行われます。この中で洗礼志願者のいる教会は「洗礼式」が行われます。復活祭に洗礼式を行うのが相応しいとされているのは、洗礼によってキリストの死と復活に与る者となるためです。「光の祭儀」では、ロウソクに火が灯されますが、それは復活の光を受けて、人びとを照らす者となるためです。さらに復活徹夜祭では、すでに洗礼を受けた人びとのために「洗礼の約束の更新」が行われます。これは洗礼を受けた人が改めて自分の洗礼を思い起こすためです。

この聖週間を通して、私たちは復活祭に向けて最後の準備をし、そして喜びと希望のうちに復活への信仰を新たに致しましょう。

主任司祭 西本 裕二


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