9月に入り、秋の気配が感じられる季節になりました。「秋」といえば、食欲の秋、芸術の秋、読書の秋、スポーツの秋など、秋と結びつく言葉はたくさんあります。

都筑教会で「秋」といえば、バザー、チャリティーコンサートといったように伝統行事を思い浮かべる方が多いでしょう。
コロナ渦で中止となっていた秋の行事も4年ぶりに再開されます。教会にとって伝統行事は、準備が大変なところもありますが、皆さんが元気づく一つの要素にもなっているように思います。しかし、そのために私たちは“奉仕する喜び”というものを知らなければならないと思います。

奉仕の喜びとは何でしょうか。奉仕することは、疲れ、損をし、自分の時間が奪われます。しかし、そこにはパウロが主イエスの言葉として紹介した「受けるよりも与える方が幸いである」(使徒言行録20章35)という喜びがあります。

大分県にトイレ掃除を通じて教育活動をしている小学校があります。そこでトイレ掃除を体験した小学5年生の女の子の作文を以前、読んだことがあります。『トイレにも心がある』という題でした。
少し長いのでその内容を私なりにまとめてみますと、この女の子は最初、一緒に掃除をすることになった先生から「トイレにも心がある」と言われましたが、彼女は「トイレに心なんかあるものか」と思ったそうです。ところが掃除をするにつれて、彼女はトイレの心というものが分かってきます。そして「これが私の掃除した便器だぞ」と言えるほど嬉しさを持ちます。それは短時間で何年もの汚れを取った喜びは、人に表しきれないものがあったからです。そしてトイレ掃除をしたことでこの女の子は「私の心も磨かれたような気がした」と書いています。
この女の子は、トイレ掃除の奉仕をすることで喜びを知りました。それは便器を磨いているうちにまさにイエスが言われた「与える生き方」に変わっていったからでしょう。

都筑教会の皆さんも、トイレ掃除を奉仕活動の一環として行っています。しかし、このような奉仕を義務として仕方なく行うならば、喜びは持てず、そしてその大切さも分からないでしょう。でもこの小学5年生の女の子のように、奉仕をとおして喜びを知るならば、必然と奉仕の大切さが分かってくるのではないかと思います。

奉仕は、キリスト信者の使命につながる大事な生き方です。ですから、私たちは、特にこの秋の行事の奉仕に喜びをもって取り組み、周りの人を元気づけ、希望を与えていかなければならないのではないでしょうか。

主任司祭 西本 裕二

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