人の話を「聞く」というのは、簡単なようで意外と難しいものです。「聞く」と「聴く」という2つの字があります。「聞く」はただ耳に入ってくること受け取ること、「聴く」は注意を傾けて受け取ることですが「聴く」は「聞く」より高度だと考える方が多いでしょう。しかし、私たちの日常生活で聞く力を身につけなければ、「聴く」ことはなかなかできないかもしれません。

今日、都筑教会では、酒井陽介神父をお招きして、黙想講話が行われますが、黙想講話は「聴く」ことが大事になってきます。
福音書でイエスが頻繁に使っているみ言葉があります。それは「耳のある者は聞きなさい」とか「聞く耳のある者は聞きなさい」というものです。この言葉は私たちがみ言葉をいかに聞こうとしていないかということを思わされます。そしてイエスは「聞きなさい」という言葉をもって、日常生活で、み言葉を聞いて、それを受け取って、生き方に反映することを求めているのではないでしょうか。
祈ることは「聞く」ことだと言われます。神の声を聞くことこそ祈りの基本です。単に私たちが語る場ではなく、神の思いや望みを聞く場であるからです。それゆえに、私たちがちゃんと聞くためには「黙る」ことが大切ではないかと思います。またイエスは、「異邦人は言葉数が多ければ多いほど、聞き入れられると思い込んでいる」と厳しい言葉を投げかけています。
そしてまたイエスご自身、捕らえられて、ピラトの前に連れてこられたとき、自分について弁明せず、沈黙をされました。このようなイエスの態度こそ、正しいあり方を示す方法ではないでしょうか。

私たちは気をつけないと、話してばかりいると人の話を受け取ることができなくなります。それは自分の思いや考えが優先してしまうからです。
ですから、今日の講話において、私たちは先ず静かに聴くということに専念しましょう。そして講話者が語るみ言葉から神の思いや望みを汲み取るように努めましょう。

主任司祭 西本裕二

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