先日、教会車を法定点検に出しました。購入してから14年目になりますので、タイヤ交換など毎年、維持のために色々と費用がかかります。
昨今、若者のクルマ離れがささやかれていますが、これは決してクルマを運転したくないとか、免許を持ちたくないという理由ではないようです。確かに29歳以下の世帯で2009~2017年までの8年間で自動車の普及率は下がっていますが、一方免許の保有率の減少はほとんど見られないということです。

専門家の見解では、「個人で所有するモノの中で高い買い物の一つになる自動車。それだけに他のモノに比べて慎重に考える傾向になっているのではないか」ということです。それでまた「多くの人がコスパ(コストパフォーマンス)を重視しているのではないか」と言っています。
そのため現在、「使うときだけクルマがあれば良いのでカーシェアリングにする」とか、「自動車の代わりに自転車で通勤する」とか、少数派ではありますが、移動手段に対して新しい見方があります。

最近、コスパ(対費用効果)やタイパ(対時間効果)といった言葉がよく使われ、データや計算で効率を考える人が増えています。確かに企業成果や生活基準の向上など特定のことに関しては、コスパやタイパが大事かもしれません。しかし、これは価値観の違いもあるのではないでしょうか。
コスパにおいては、「この方法でないと無駄なお金がかかってしまう」とか、タイパにおいては、「こんなやり方では、時間がもったいない」といった考えになってしまうでしょう。

このようなことは、教会においてすべてあてはまるとは言えないように思います。なぜなら、たとえば司牧活動において、よく計画し、取り組んでも成果が出ず、またそのために費やした時間も無駄になってしまうこともあります。しかし、福音宣教や司牧活動で大切なのは、無駄や失敗と思う事があっても諦めず、何度もチャレンジすることだと思います。それが教会活動だからです。ですから、データや計算では図れないものもあるということです。
使徒パウロは、コリントの信者に向けて「愛する兄弟たちよ、動かされないようにしっかり立ち、主の業につねに励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです」(1コリント15.58)と言っています。つまりパウロが言うように、私たちの苦労が無駄にならないのは、私たちが主イエス・キリストに結ばれているからです。ですから、私たちの人生で何をするにしても、それが人からどう評価されるか、目に見える成果を生むかどうか、ということよりも「主に結ばれて」それを行っているかどうかが大事です。

都筑教会が行う福音宣教も司牧活動も無駄や失敗を恐れず、主に結ばれて、大いに神の栄光のために一緒に頑張って取り組んで行きましょう。
参照:野村證券EL BORDE「若者のクルマ離れってホント?」

主任司祭 西本 裕二

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