司教と羊

先月、横浜教区の司祭月例集会の日に、梅村昌弘司教の「司教叙階25周年記念ミサと祝賀会」が行われました。大勢の司祭たちが集まりましたけれども、出席された司教総代理の芹沢博仁神父(甲府教会主任司祭)に、ミサ前に梅村司教について少し話を伺ったところ、「彼は40代後半に司教に叙階されているから引退前に25周年を祝うことができたんだ。でも大変だよね」と言っていました。司教は75歳で定年引退願いを教皇に出すことになっていますので、ほとんどの方は引退後に祝うそうです。確かに25年間、司教職を務めるのは大変なことだと思います。毎年、横浜教区事務局から梅村司教の年間予定が配られますけれども、それを見ると過密スケジュールで、体力的にも精神的にもタフでないと司教職はつとまらないように思います。

司教の主な務めは、「司牧」と言われています。司牧は、教区をまとめ、教区内のすべての教会や修道会、またカトリック学校や福祉施設などのために働き、そして信徒を導く役目があるからです。でも司祭も司教と同様、司牧が主なつとめかもしれません。それは司祭も教会をまとめ、信徒の皆さんを導く役目があるからです。
しかし司教たちの多くは「司牧」だけで満足しているわけではないと思います。それは「わたしにはこの囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない」(ヨハネ10.16)とイエスが言われたように、司教たちは良い牧者として、すべての人を導く「宣教」の使命もあるからです。つまり日本では「宣教司牧」という言葉があるように、2つの使命を忠実に果たしていくことが求められているということです。

宣教とは、福音宣教のことです。キリストを知らない人に伝えていく働きです。これは教会の使命であるとともに、すべてのキリスト信者の使命でもあります。ですから、特に司教職を考えますと、その働きの範囲がいかに広いかということがわかるかと思います。
司教の宣教における役割は、司祭や信徒を福音宣教へと駆り立てることでしょう。まさに「イエスが弟子たちを派遣されたように」です。だからこそ、私たちも弟子たちのように、喜んで司教の宣教の使命に協力して、自分の教会の活性化とともに、多くの人の救いというものを考えて、働かなければならないのではないでしょうか。

主任司祭 西本 裕二


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